どんな病気でも「自分で考えて自分で答えを出す」ことがとっても大事なのだと思います

こんにちは、梅宮アンナです。私は現在、ステージⅢAの「浸潤性小葉がん」を治療中です。私の治療は「AC療法」「パクリタキセル」2種類の抗がん剤から始まり、手術、放射線、ホルモン剤とフルコースで予定されていましたが、報道もされている通り、最初の「AC療法」が終わった時点で肺炎にり患して入院を余儀なくされました。

 

前編記事『梅宮アンナ、がんになり、肺炎にもなった私が願うのは「自分の病気のことを誰もが言い出せる社会」』に続く後編です。

 

【独占連載「アンナの日々」#4】後編

いつだって最悪のケースを考えてきた。それがいちばんのリスクヘッジだったから

ママに「どうして私はがんになっちゃったのかな?」ってふと言ったら、「梅宮家は全員がんでしょ~」と返されました。父も、父の妹2人も、みんながんなんです。治療に最初の区切りがきて思うことは、自分の状況をよりラクにシェアしやすい世の中になっていってほしい、ということです。

 

私はいつも最悪のケースを考えてきました。でも、それをネガティブだとは感じていません。現実的なんです。結果がどうであれ「正しい」「間違っている」ということはなく「私がどう捉えるか」だけがすべてだから。

 

たとえば、「がんなんだ」と私が告げると、みなさん「大丈夫だよ」「私の友達は大丈夫だったから大丈夫」「私の親はこれをやって治ったからやりなよ」、気をつかっていろいろ言ってくださいます。でも、実はこれって言わなくてもいいことだなと思います。その会話は「そうなんだ」、そこで終わっていい。何かを勧めてもらった場合、勧められた側はそれをやらないことに罪悪感が生まれてしまうのです。

 

地元で私を見かけて声をかけてくださる中に「●●を飲んでね」という人がいました。私はそれが怖い。たとえばサプリメントが抗がん剤と喧嘩しない保証がないんです。私は早く治療を進めたいから抗がん剤を投与してほしかったけれど、投与は血液検査の結果で可否が決まります。投与当日、今日受けられるのかなと、あんなに緊迫する空気は他にありません。余計なものを体内に入れてしまうと、この検査数値が変わる可能性もあります。阻害の働きを持つものを素人には判断できないから、よかれと思って飲んだもののせいで治療が無意味になる可能性がある。この心の声は無視したくないのです。私は一刻も早く治療を前に進めたかった、1週間2週間遅れたらその分だけがんが進行するでしょうから。

 

私のことを思って、ご自分の闘病記を教えてくださる方もいらっしゃいます。甘いものを絶った、ビタミンCを飲んだなど。私を思ってくださる気持ちは本当に嬉しいのですが、でも、病気ってみんなスタートポイントが違います。一斉に感染するような病気ならば話がまた別かもですが、私があなたと同じ経過になるとは限らない。私は今後も、「こうしたら治りました、だったからあなたも大丈夫よ」とは誰かに言わないと思います。なぜなら、私の体とあなたの体は違うから。

 

「私の友達はこうだったんだけど、あなたの場合はちょっと違うもんね」という言葉が生まれてほしい。そして、みんなまったく同じ病気だと捉えて自分の経験、知識を語るのではなく、とりわけがんに関しては「人それぞれ」であることをよく認識して、記憶の渡し方をいろいろと工夫したほうがいいのではないかと感じています。

 

というのも、私は「パクリタキセル」の手前で肺炎にかかりましたが、パクリタキセルを経験した人はみんな「ものすごくつらかった」と言うんです。実際つらいのでしょう。つらかったという情報を得ることで覚悟が決まり、ためになる人もいるのでしょう。でも、つらいと言われて気がラクになる人はいないですよね。

 

私は事前に最悪の事態を考えておきたいタイプなのでアリなほうなのですが、それでも聞いていて気が滅入ってしまいます。もしかして、素直すぎる体験談は、後に続く人の恐怖のことまでは考えてあげていないのではないか。ですから、体験の伝え方については、自分の闘病を通してもっと慎重に考えていきたいと思っています。

 

何であれ「自分で考えて自分で答えを出す」ことがとても重要

SNSが特にそうですが、もしかして人はみな「自分の感情を他人に代弁させる」のかもしれません。辛いよね、しんどいよねって言われますが、私がつらいのではなく、あなたがつらいと感じたその気持ちを私に代弁させているのではと。だから、「私の姉は大丈夫だったからアンナちゃんもだいじょうぶ」という発言になるのかな?と思うのです。

 

また、例えばですが、2週間に1回の投与なんですという私に対して「私は週に1回ですが何か?」と食ってかかるコメントもありました。「人は人、自分は自分」なのですが、自分と違うことをする私を見て、自分を否定されてしまうような気持ちになるのかもしれません。でも、私は私なのです。

 

大切なのは誰かの意見に左右されず、自分で考えて自分で答えを出すこと。また、答えを出したら他人のせいにしないことだなと感じます。自分で考えることを放棄しないこと。たとえば、夏に米不足が騒がれましたよね。誰が悪いという原因探しをしてそれを一斉に叩くのがこの国のメディアですが、どうしてもお米じゃないとダメな人は別として、それ以外は秋の新米までは割高になりすぎない範囲で別の主食を探すこともできたと思うのです。でも、米がない!大変!って慌てる声に、いつの間にかみんな巻き込まれてしまった。

 

私は若いときから一貫して、自分の中の恥も含めてすべて自分に起きたことは口にしてきました。そんなこと言わなきゃいいのにとずっと言われてきたけれど、言えたほうがラクだったんです。笑われても何をしても自分で解決しなきゃならないから、抱え込まず吐き出していたほうがラクだった。私はどうすると精神が病んでしまうのかを知っているのです。それは、抱え込んで気持ちにフタをすること。みんなSNSに没頭するけれど、本当はSNSをオフすべきなんだと思います。

 

私がコツコツとSNSで発信を続ける「本当の理由」は

世の中の人と遠くなってしまうと、世の中がいま何を求めてるのかがわからなくなるので、私はずっとインスタをはじめとするSNSをやっています。炎上もひとつひとつ噛みしめながら表現者として30年やってきて、どんどん芸能界の人とお話をしなくなっていきました。

 

芸能の世界には残念ながら、まだ昭和のままの部分があります。結婚離婚、出産、病気などで当然のように自分の立場が左右されます。でも、人々は本当にそんなの求めているのかな。どうも自然じゃないんだよなって、ありがたくもお仕事をいただきながらもいつも思っていました。私に合っていない仕事なんじゃないかなと。

 

私はずっと、自分の身に起きたことそのまま等身大で表現するお仕事を求めていました。だからいま、この闘病体験の発信は強い責任を負う、やりがいのある立場だなと感じています。結果、100点満点の内容にはならなくても、インスタにも文字を残してみようと思うようになりました。

 

入院前のことになりますが、私の病状をyoutubeで解説してくださっている腫瘍内科医の押川勝太郎先生とつながりました。押川先生は「がん防災」というシリーズを配信しています。とてもわかりやすいお話ですので検索してみてください。近いうちに私と押川先生との対談もお届けします!

 

 

つづき>>>>梅宮アンナ、がんになり、肺炎にもなった私が願うのは「自分の病気のことを誰もが言い出せる社会」

 

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