
「産んでよかったとはまだ思えない」「死んだらいいのに、と思ったことも」でも、いつかは「産んでよかった」という日が来ると信じたい【子どもの反抗期 体験談】
「育てる気がないなら産まなきゃいいのに」、両親は毒親でした
—-頼れる人がいないと言われていましたが、ご両親とはどのような関係性だったのでしょうか?
両親はいわゆる毒親で、私が一人で出産した時も顔を見にくることはなく、里帰り出産するなという雰囲気でした。息子の相談をした時は「お前の育て方が悪い」と一蹴され、何を話しても無駄だと思い、疎遠です…。親は「仕事さえ行けばいい」という感じなので、子どもが熱を出したときは、頼めば子守に来てくれました。本当に子どもを見るだけで、ご飯はつくってくれないので昼休みに自宅に戻り、親と子どもの昼食を用意していました。
—-毒親と表現されましたが、どのような親御さんだったのでしょうか。
母は、働きながら私を含め4人兄弟を育てていたため、忙しくていつもイライラしていました。土日に遊びに連れて行ってもらった記憶はありません。父はトラックの運転手で、夜中に仕事に出かけ翌日の昼過ぎに帰宅する生活で、家事や育児には一切関わりませんでした。父はキレると皿を投げたり、常に横に置いている棒で叩かれたりしました。何が正しいかはすべて父の考え次第で、私たちがご飯を食べ終わって果物を食べていたら、晩酌中の父が「飯がまずくなる」とちゃぶ台をひっくり返すこともありました。兄弟の中で私が1番頑固だったので、いつも父からボコボコにされていました。家の前の池に首を掴まれて頭を沈められたこともあります。「育てる気がないなら産まなきゃいいのに」と思い、親への反発から高校の頃は家に帰っていませんでした。私もちょっと激しかったので、息子の反抗が酷いのは“遺伝”かもしれません。
—-父親の顔色を伺いながらの生活では、Nさんもお母さんも兄弟も家が安心できる場所にはならないですよね。
自分の経験を反面教師にして、私は土日を家族サービスと考え、息子のやりたいことや習い事に積極的に付き添いました。体験にいくとなんでもやりたがり、釣り、キャンプ、ロボット教室、英語、など…。そのおかげか、息子は器用で、運動神経もよく、何でもできます。だから鍵も壊すんですが(笑)、息子の健康で生きる力があることには感謝しています。
—「健康で生きる力がある」ことは、何にも代えがたい素晴らしいことだと思います。
何日も家に帰ってこないとか普通は考えられないですよね。でも息子はソロキャンプができるんです。それに、時間があれば釣りにも出かけ、この前はキスを釣り、自分でさばいて焼き、ポン酢で食べていました。帰ってこないと心配するし、お腹を空かせているんじゃないかと息子が好きなものをいつでも食べられるように買い置きしておくんですが…。
—すごい!確かに、生きる力がありますね。
これまでの激しすぎる息子さんの反抗期と、発達障害の診断についてお話を伺ってきました。第二回の『「無知だとお金がかかるから」自分と息子を守るため、反抗期まっただ中でもやっているコト』記事では、反抗期の先にある母子の未来のために心がけていること、これまでを振り返って必要だと感じていることについて語っていただきます。__▶▶▶▶▶
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