発達障害の「女の子だから大丈夫」論って本当?その言葉に覚えた違和感と、私が信じたい子育てのかたち
私の長女は、ADHDと強迫性障害を併せ持つ、いわゆる発達障害児ちゃん。“超ド級の個性派”である彼女と過ごす日々は、笑いあり涙あり、そして時々、モヤモヤもつきものです。
今回はそのモヤモヤのひとつ……「女の子でよかったね」と言われたときに感じた、ちょっとした引っかかりについてお話しします。
前編「『女の子でよかったね』って、それ本気で言ってるの?発達障害の娘を育てる母として感じたモヤモヤ」に続く【後編】です。
何気ない言葉にひっかかる理由
「女の子だからなんとかなる」という言葉は、発達障害児の生きづらさを軽視してるんじゃないかな、なんて思うのは私だけでしょうか。それに、保護者だってギリギリの精神状態のはず。「楽な子育て」なんて、刃物のような言葉だと思うんです。
たしかに、社会的な期待や役割の違いって、性別によってある程度存在する。
たとえば、女の子には「共感力」や「気配り」を求める社会的な期待が、年齢に関係なく存在していて、発達障害のある女の子にとっては特にプレッシャーになることがあると感じる。
(自分の気持ちをまっすぐに伝えてしまうがゆえに、その期待に応えられず、結果的に孤立してしまうことも……)
一方で、発達障害のある男の子は「元気があってヨシ!」とされる場面も多く、落ち着きのなさやこだわりの強さが“男の子らしさ”として見過ごされてしまうことがある。
その結果、適切な支援にたどり着くまでに時間がかかったり、「問題児」として誤解されてしまうケースもあるのです。
だからこそ、「男の子だから大変」「女の子だからなんとかなる」といった単純な言い方では、見落とされてしまう困りごとがある。私は、発達障害児が抱える課題を“性別”というフィルターだけで語ってしまうことに、慎重でありたいと感じています。
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