梅宮アンナさん「振り返れば笑っちゃうような恋愛経験などもあったけど……」独自インタビュー

25年3月に開催された女性向けウェルネスイベント「Be Me ご自愛市」やがんサバイバー向けのシンポジウムなどで、「誰かの力になれれば……」と乳がんについての経験を語る活動を続ける梅宮アンナさん。
6度のがんと闘った父・梅宮辰夫さんのこと、脱毛や術後リハビリのこと、これからのことを語るその姿に私たちみんなが勇気をもらいました。本日(6月2日)発売の雑誌『健康』夏号(こちら)より抜粋しご紹介します。

久しぶりに制限のない生活、大好きな……

2023年の7月、ステージⅢAの小葉がん(乳がんの一種)と診断されました。抗がん剤AC療法を経て、右乳房及びリンパ節郭清手術を受け、2つ目の抗がん剤パクリタキセル、放射線治療を16回、4月にようやく一通りの治療を終えました。

 

ここからは分子標的薬を2年、女性ホルモンを抑える薬を10年間飲み続け、経過観察も続けます。手術を終えて、痛みと戦い、不安で泣いて、そんな想いから半年ほど経過、メンタル的にも肉体的にも、少し慣れてきていて、今があります。

 

副反応での体のつらさはまだ残っています。全身のむくみ、体重増加、味覚障害、手足の先のしびれ、卵巣機能低下など。でも、健康を取り戻しつつあって、そろそろ制限のない生活が始まるので楽しみです。体力が回復したらやりたいことは、山登り!

2010年から、自然の中や舗装されていない道を走るトレイルランに挑戦していて、山が好き。さっそく5月ごろに山に行く計画中です。大好きな上高地も行きたいな~と今からワクワクしています。

 

「がん」になってよかった、とは思わないけれど……

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もともと私にとっては、学びの時間がいちばん楽しいときです。未体験ゾーンを体験できることにワクワクします。そういう気持ちって、とても大切だなと思います。

 

トラブルがあっても病気になっても、前を向いて歩いていくということ。病気になってよかったとは思わないですが、私にとっては必要なことだったのかもと受け止めています。がんという病気になった意味を考えていくうちに、そう思うようになりました。

 

ですから、私からみなさんに伝えたいことは、1つでも多く、経験を積み重ねてほしいなということ。目の前に起きたことについて、「ああ~、大変、もうイヤだ」と思わずに。

 

振り返れば笑っちゃうような恋愛経験などもあったけど、無駄じゃなかったって思うんです、それなりに。行動範囲を狭めずに広げて、ぜひいろんな経験を積み重ねてほしいし、私もやっていきたいです。そして、みなさんも他人事と思わず、ご自身の体を細かくチェックする習慣や機会をもってください。

 

父・梅宮辰夫と同じように私も経験を伝えたい

父・梅宮辰夫は、「あれ?」って思うと、すぐ病院に行く人でした。だから81歳まで生きていられたんだなぁと思います。そんな父が36歳のときに睾丸がんと肺がんに罹患し、私はそれを間近で見ていました。

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当時、私は小学校低学年。いっしょにお風呂に入っていて、「ここにがんがあるんだよ」と教えてもらい、ショックを受けたことを覚えています。次に記憶しているのは小学校高学年のころ。内視鏡でとったポリープを持ち帰ってきて何度か実物を見せられました。

 

そんな父の生き様を見てきたから、自分ががんになっても驚きはなかったです。

 

父は肺がんから生還した10人として、学会に呼ばれてトークしたこともあります。ですから、私もがんの体験を話す機会をいただけたら、ぜひ登壇したいなって思うんです。

 

ドクターにもわからないことがある、かかった人にしかわからない気持ちがあると思うので、患者サイドの気持ちや気づきを伝えていけたらなと考えています。

 

※インタビューは2025年3月に行いました


インタビューの続きは、雑誌『健康』夏号(6月2日発売)に掲載しています。→購入はこちら


梅宮アンナさん プロフィール
1972年生まれ。雑誌『JJ』の看板モデルを経て、多数の人気女性誌の専属モデルとしてカリスマ的な人気に。2002年に長女を出産。現在はテレビやイベント出演、洋服のプロデュースなどを手掛ける。父は俳優の梅宮辰夫、母はタレントの梅宮クラウディア。

 

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