学歴が偏っている東大生の特殊なコミュニティ。10年ぶりに地元の友人からかかってきた「常識が違いすぎる!」電話の内容がまさかの

東大生とつながりが深い特殊なコミュニティ。慶應と早稲田

早稲田、慶應、東大を卒業していて学年が一緒であれば、友人の名前を出して共通の友人がいないか探ることがある。

そしてだいたい一人くらいは存在して、盛り上がりを見せる。

 

これは新卒で入った会社名を聞いた後でも行われる。

 

「新卒どこ?」

「デロイトだよ」

「じゃあ、◯◯知ってる?」

「知ってる!同じ部署だった」

「まじ?大学で部活が一緒だったんだよね」

 

このような具合で、共通の知り合いがいるのである。これはかなり特殊なことではないだろうか。

ぼくの人生において、初対面の人に会った時に、「共通の友人がいるかもしれないな」と思ったことはほとんどない。

「倉田さんと同じ日本大学出身で、歳も一緒なんです」と言われて

「え!じゃあ、◯◯知っていますか?」と言うことなどないし、

ましてや近い偏差値帯の駒澤大学や専修大学の卒業生に共通の知り合いがいるかどうか探ることなどない。

 

しかし、早稲田や慶應では当然のように行われる。

共通の知り合いがいる可能性が高いと、これまでの経験で分かっているのである。なぜだろうか。

 

早稲田や慶應、東大に進学する生徒の高校には偏りがある。

さらに、大学卒業後の就職先も偏っている。

流動性が少ないので知り合いが多くなる。

これらによって共通の知り合いがいる可能性が高くなる。

 

賢い人の友達は賢いし、賃金の高い会社員の友達は賃金が高いし、普通の人の友達は普通である。不良の友達は不良かもしれない。

自分の知り合いの中にはいなかった人と知り合ったとき、あるいは、その人の持つ常識に触れたとき、自分のいる世界とは全く異なる世界が存在することに気づく。

そのような機会がなければ他の世界があることにすら気づかない。

 

だから自分の無知や非常識に気づくためにも、多様な人と出会い、その人の世界に触れることが重要である。

 

東大の友人のところに同じ幼稚園だった知人から電話があった話を聞いたときも、ぼくたちの知らない世界がまだまだあるのだなと思ったものである。

 

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