侵攻を続けるロシア当局が作り出した「通信のブラックボックス」、それが私の自由を生む。なんたる皮肉か
60歳の定年まで残すところあと半年足らずのミリさん。「いまの私は次の10年を考えるよりも、これまでやり残したことを片付けていく1年」と語ります。
そんなミリさんが突如として26年8月末、長年の積み残しだった「ロシアへの留学」を果たしました。2026年のモスクワで女子大生を再履修するミリさんの不定期日記をお届けします。
前編『2026年を生きる私が事実上の世界の果てのひとつモスクワでやっと「手に入れるもの」とは』に続く後編です。
【アラカン☆モスクワ女子大生日記】#3後編
繋がっていない、便利ではない、困難の中に見出す喜び

寮の私の部屋。
モスクワに到着して入寮。3日後の土曜日までに、寮の一人部屋代35000ルーブル=1か月約70000円(通常は4-5人部屋で1か月2800ルーブル=約5600円)を銀行で支払うように事務局から言われた。手書きの振り込み番号が書かれたノートの切れ端を渡されて。
土曜朝10時、開店と同時に入った銀行で、「振り込み」の順番の紙をもらい待つ。近所の知り合いのおじさんとニコニコとよもやま話をしていた窓口の太ったおばさんが「はい、次!」と私の番号を呼ぶ。
事務局でもらった紙と現金、パスポートを出す。するとにこやかだったおばさんの眉根が寄る。「ちょっと、これ3なの?8なの?」と手書きの登録番号の1つの数字を指して言う。
(え!?ロシア人が書いた、ロシア人でも読めない字を、日本人の私に聞く???)と戸惑いながら「えっと……多分、3だと思います。ほら、ここに8という字があるけど、それとはなんか違う……ように見える……でしょう??」と言うと、おばさんは「あんた、じゃあこれはなんなのよ」と限りなく3に近い8を指さして言う。
(たしかに。うーん、これはいったい何なんだろう???) 「すみません、私もよくわからないので、『3』でお願いします」と私は焦って口走る。
おばさんはいきなりいきり立ち「あんた、そんないい加減なことができるわけないでしょう?ここは銀行よ。帰って、ちゃんと事務局に確かめて出直しなさい。ほら、あんたのせいでこんな行列できちゃった。土曜日だってのに。はい、次の方」と私は列から外れるよう顎でしゃくられた。
土曜日、銀行は13時まで。寮費は今日中にと言われている。今から戻っていたら、13時には間に合わない。それに事務局は今日は閉まっている。苦肉の策で私は銀行の外で留学生らしき中国人を3人捕まえ、聞いた。「すみません、これ8ですか?3ですか?」と。
3人のうち2人は「3だと思う」と答えた。腹は決まった。私はもう一度銀行の中に戻り、おばさんの列に並んだ。閉店15分前、順番が回ってきた私の顔を見ておばさんがいやそうな顔をする。私は思った。
(これこれ!こう来なくっちゃ)と。
大抵のロシア人はとても友好的で親切だ。けれど、かつてソ連時代にいた“むやみに笑顔は浮かべない”人に会いたかった。ここにいた。
「(中国人に多数決で)調べたところ、『3』だそうです」とおばさんに言った。おばさんは(本当に調べたのかどうか怪しいもんだね)という顔をしながら数字をPCに打ち込む。 『3』ははね返されることなく、入金手続きは済んだ。上々だ。
レーニン図書館の帰り。赤の広場で「つながらない世界」に向けて叫ぶ
デジタルネイティブと言うほど若くはないけれど、ブヒョンは通信がきまぐれな世界では生きられないと言う。友達と話したい、メールしたい、見知らぬ街でも地図アプリがあれば大丈夫。そういえば大学の宿題もTelegramで出題される。だからこの時期にロシアに来たのは間違いだったかも……と弱気になっている。

レーニン図書館
レーニン図書館に集った私たちは、その壮麗な知の殿堂の中をひそひそきゃあきゃあ言いながら歩き回った。図書館利用証は、パスポートさえあればその場で無料で作ってくれる。
レーニン像が見守る読書室では、物語の中から出てきたような老女が読書会を開いていた。
整然と並ぶデスクと緑色のランプの勉強室は圧巻だ。ロシアの知の層の厚さを見る思いがした。ドラマとかを見ている若者もいたけれど、ここで勉強したい、ここにいるだけでもモスクワに来たい、と思う。
そして窓からその赤い屋根が見えるほどクレムリンに近いこの図書館でも、インターネットはつながりにくい。私たちは結局宿題はせずに図書館を後にし、ブヒョンがまだ行ったことがない赤の広場へ向かった。広場に立ち、ブヒョンが叫ぶ。「オイ~!」
その「オイ~!」はなんのオイ~だったのか。もう誰の携帯も、どこともつながっていない。
侵攻を続ける当局のコントロール下でできた「通信のブラックボックス」は、人々を「自由」から遠ざける。そしてそんな通信の途絶えたところに安らぎを感じる自分は間違っていると思う。でも、今の私には通信の空白地帯が必要だった。
だから願う。国のシステムによる通信の空白なく、ブヒョンに繋がりを。私には繋がらない意思の強さを。
広場に面して建つ国営高級デパートGUM。西側のブランドのショーウィンドウはどこもスカスカで、“ニュー”コレクションではなく“ちょっとオールド”コレクションが並ぶ。映え写真を撮っても誰かに送ることができない私たちは、定番のアイスを買って、ただ味わった。
つづく
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