【クイズ】演歌って何の略だか言える?意外に知らない!

若いころは敬遠していたはずなのに、年を取るごとに心にしみるようになってきた「演歌」。

 

「演歌」は何の略でしょう。

 

田舎調から都会調へと進化。

答えは「演説歌」です。

 

「演歌」は「演説歌」の略。明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した演説歌がもともとの由来です。そこから派生して、1960年代半ばに日本の歌謡曲のジャンルとして確立しました。日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つであるとされ、当初「艶歌」や「怨歌」の字も当てられましたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」の表記がが定着したといいます。音楽理論的には、演歌の定義はありません。

演説歌は藩閥政府に反発する公開演説会への圧力をかわすため、政治を風刺する歌(プロテストソング)として誕生。有名なものに「ダイナマイト節」や川上音二郎の「オッペケペー節」があります。自由民権運動も一段落すると演説歌の内容にも変化が訪れ、題材が社会問題に関する風刺に変わってゆき、ヴァイオリンでの伴奏が導入されるなどの芸的な要素が強まりました。

戦後、ラジオが地方へ普及し、戦後の地方出身者の都会への進出を背景とした「望郷」がテーマになることが増加。初期の歌手では春日八郎(「別れの一本杉」など)、島倉千代子(「逢いたいなァあの人に」など)、三橋美智也(「リンゴ村から」など)がヒットし、都会的なレコード歌謡に衝撃を与えました。また、村田英雄が浪曲系から加わり「王将」がヒット。さらに美空ひばりと古賀政男のコンビも「柔」や「悲しい酒」など田舎調に近い楽曲を発表し、後年ひばりは「演歌」歌手と呼ばれるようになります。

また、「艶歌」と称されるジャンルがあり、夜の街の「流し」の系統に限定されていました。代表的な艶歌歌手はこまどり姉妹。当時の流しは任侠との親和性が高かったようです。しかし、アイ・ジョージは流しの任侠的イメージに否定的で、「インテリ向き流し」として成功すると、デビュー後は洋楽主に演奏しました。対称的なのは北島三郎。初期には「ギター仁義」「兄弟仁義」など、任侠をテーマにした楽曲を出しています。

平成以降、演歌の人気は衰退していましたが、J-POPの低調もあり、CD売上枚数に占める演歌のシェアが相対的に上昇しつつあるようです。演歌を好む年配者も一定数いますし、新しい「演歌のプリンス」も毎年のように登場しています。これまで避けていた方も、一度「演歌」をじっくり聞いてよさを味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

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