【岩井志麻子】「育ちの良さ/悪さ」がわかってしまう状況とは?
小さいとき父に聞いた、妙に強く心に残っている話がある。八十過ぎの父が若い頃に起きた岡山の事件というから、相当な昔である上に地域限定で、今いろいろ検索しても出てこない。父も作家を目指した時期があったというので、父の創作ではないと思いたいが。
ある誘拐事件の話
ある富裕な名家のお嬢様が、誘拐された。誘拐犯は極貧の悲惨な生まれ育ちの男で、とりあえずお嬢様を田んぼのあぜ道にある掘っ立て小屋に連れ込み、監禁した後でお嬢様の親に身代金を要求に行くつもりだった。
ところがお嬢様、恐怖に震え泣きながらも、なんと犯人の脱いだ靴を揃えてしまったのだ。それを見た犯人はその場でお嬢様を解放し、警察に自首したという。
すべての人に蔑まれ虐げられてきた犯人は、生まれて初めて人に靴を揃えてもらうというのを体験した。それに心を打たれ、いや、撃ち抜かれてしまったのだ。
父は私にこの話の教訓として、真の育ちの良さはどんな相手をも感激させ説得し、ときに威圧し、極限においても身を助けるのだ、というのを説いていたが。
私はむしろ、犯人の「ものすごく育ちが悪いはずの人が極限で見せた品格」に心打たれた。彼は、獣になりきっていなかった。とことん育ちの悪い人ではなかったのだ。
真の「お育ち」がわかる状況とは
彼がとことん堕ち切った男なら、お嬢様が靴を揃えたことに気づかなかっただろう。気づいたとしても、それがどうした、とお嬢様にひどいことをしたはずだ。
もちろん、そのような状況下でも育ちの良さを出さずにはいられないお嬢様も素晴らしい。この男のその後は不明だし、もちろん身代金目的の誘拐なんて許されない犯罪ではあるが。私は、彼はきっと更生できたと信じる。他人の育ちの良さに気づくこともまた、育ちの良さといっていいのではないか。
ちょっと違うけど先日、都内のある映画館に行ったら、上映中にバリバリ音立ててお弁当を食べてる客がいて、その近くにいた金髪でチャラいチンピラっぽい兄ちゃんが、
「映画館でゴハン食べる人、嫌だな」
と注意していて、あれっと思った。「メシ食うヤツ」ではなく「ゴハン食べる人」……。
あんたそんなナリして実は育ちがいい坊ちゃんだね、といいそうになった。