【実録】乳がん闘病記と、乳がんからずっと後の話【ShortNote】
こんにちは。ShortNote編集部です。今日は、乳がんについてのノート(ShortNoteでは投稿されたエッセイのことを「ノート」と呼んでいます)を2篇、紹介します。
「乳がんでの変化《総括》」
まずは、ユーザー名「へなちょこ」さん。ちょうど1年ほど前のエコー検査からはじまり、手術や抗がん剤治療を受け、現在に至るまでの経緯を、「乳がんでの変化《総括》」というノートにて、イラストでまとめてくださいました。
以下、イラストの詳細です。説明文の部分はできるだけテキストに書き起こしました。全体をへなちょこさんが描いたままに見たい方は、元のノートをご覧ください
● 2015末 〜 2016.3
・2015末から内部疼痛・違和感あるが、しこり見つからず
・2016.3月末、マンモグラフィとエコー検査。エコーの技師さんが、めちゃくちゃ慌てて先輩技師さんに相談していた
・マンモグラフィの結果は「経過観察」だったが、エコー検査の態度や疼痛に不安を感じ、細胞診断(一部の肉片を取り検査)を追加
※ 細胞診 → 15000円くらいを目安(不安だと思ったら安心を買う気で受けて!)● 2016.4/21
・進行性乳がんの診断を受ける。このときのステージは「2-a」
※ 触診ではわかり難い、右胸全体に広がった感じでした
● 2016.5/21
・右胸全摘出手術終了
・胸の縫合部分の晴れと痛みあり。むくみも手術直後からアリ。
※ 術後、腕がひきつれて上がらなくなりましたが、リハビリのストレッチを続けてかなり術前に近い状態に改善しました
● 2016.7 〜
・6月に摘出したがん細胞とリンパ球の数(9/19)でステージが「3-a」に
・化学療法(抗がん剤)、放射線療法、抗ホルモン療法が有効という結果。スケジュールが組まれる
・2016.7/7。抗がん剤、エキドキサン、エピルビシン、フルオロウラシルなどの投与(前半)を開始。吐止めの薬も同時に投与されるも、酷い船酔いや悪阻り(つわり)の状態が3〜5日続き、立てず、最初の1週間は赤ら顔みたいになった
● 2016.8 〜 2016.9
・7月末あたりから、頭皮を髪ごと引っ張られた感じが続き、それからバッサバッサと脱毛。1ヶ月くらいでほぼ抜け落ちる
・ウィッグのサロンを予約。1週間で受け取る
・ストレスで吹き出物とくすみが目立つ。シミも一気に増えた
・この頃はビタミンC、マルチビタミン、亜鉛を飲んだ
・洗顔も、化粧水での拭き取り洗顔に変えた。現在もこれで落ち着く
・このあたりから食事が平常に。夏場だったこともあり、脱水症状などの熱中症に気をつける
・太りやすく、むくみも常にあった(3kg体重が増えると病院でチェックが入る)
・肌が全身ピリピリして痒かった(思えば産毛などが脱毛していた)
● 2016.10 〜 12
・抗がん剤後半開始。ドセタキセル
・むくみがひどく、全体的に2サイズほど大きくなる
・爪は黒い縦筋が入り、抗がん剤投与時期に合わせ横に亀裂が入って割れ易くなリ、指の力が入らなくなった(「しじみ爪」というそうです)
・肌は染み、吹き出物が増え、イボがあちこちにできた
・白血球の数値がなかなか回復せず、風邪の症状が出たら全身に力が入らず、家事が困難でした
・後半は前半よりきつく、メンタル面が落ち込みました。周囲の理解とケアが大切だと痛感
・抗がん剤が終了したときは、嬉しくてシャンパンを飲みました
● 2017.1 〜 2917.2
・腫瘍マーカー(CA15-3、CEA、NCC-ST-439)が平均値に
・放射線治療開始。土日休みの25回。5週間
・照射後からビリビリしたので、塗り薬を処方してもらった。それとハンドクリームや肌に合った乳液で痒みは軽くなった
・大きなイボや粉瘤のようなものが30くらいあった。肌トラブルは抗がん剤終了後の方がイボなどで大変でした
・歯が弱くなって欠けました。現在も治療中
・ようやく、むくみがおだやかに
● 2017.2末 〜 2017.4
・放射線治療終了後から照射部分が浅黒く日焼けのきつい状態に。特にイラストの黒い部分は膿んだ。最終的にオロナイン軟膏やワセリン、メンソレータムなどの市販の塗り薬が助かったかな?
・むくみがようやく落ち着いて、うなじと鎖骨の筋が見えてきた
・皮膚がデリケートな時期なので、頭髪に整髪料を使うことはまだできない
・爪がピンクに! 割れやすい爪もあと5mmほど残っているが、夏が来るころには落ち着く
・肌の吹き出物にはハト麦が私の身体に合うようで、顔の数カ所を残して綺麗に無くなった。化粧水に加えお茶は長く続けられた
● 総括
・肌の調子や体調に、ビタミンのサプリが助かった。悪い状態から上げるために必要
・思った以上に乾燥するので保湿が大切!
・爪はボロボロになるので、ネイルのオイルや爪に負担をかけない胡粉のマニキュアなどで工夫すると良い
・脱毛はびっくりするけど、ウィッグや帽子のお洒落が楽しかった。普段しない髪型も楽しんでみて
・食べ物は、お刺身や納豆などを気をつけた程度。普段の食事の規制はなかった
・むくみで身体のサイズが変化するので、ゆったりとした服でも、コクーンカットのワンピースやドルマンスリーブのカーディガンなど、カバー部分もすっきり見せるようにした
・精神面でひどく落ち込む時期がありました。気分転換の方法や、家族以外の相談相手、SNSで書き起こすことも気持ちの切り替えになり、助けられることも多かったです
へなちょこさんは、今回ののまとめだけではなく、検査から今までの状況や環境や気持ちの変化を、その都度ごとにShortNoteに書き記しています。
大変貴重な体験談です。細やかな心境をとらえ、かつ客観的でもあり、病気そのものだけではなくそれをとりまく全体も描写されています。へなちょこさんのプロフィールページからそれぞれのノートを遡ることができますので、ご興味のある方はご覧になってみてください。
「おっぱいバロメータ」
もうひとつは、ユーザー名「peco」さんのノート。彼女が乳がんになったのは15年以上前。最初の治療の後、2度再発し、さらに3回目の疑いも出て、どん底だったときのことを書いた「どん底に大地あり」は、ShortNote内コンテスト「MVN」を受賞しました。
しかし、今回紹介するのは、昔の話ではなく、最近起きた出来事の話。
「おっぱいバロメータ」というタイトルのノートです。
その日、pecoさんは会社のみんなでお泊り会に行ったそうです。
お泊まり会といえば、大浴場や温泉などの、みんなでお風呂タイム。
pecoさんは昔、温泉で赤の他人に自分の身体を見られたとき、嫌な思いをしています。
ノートから文章を引用します。
30代の、わたしと歳が変わらない感じの女の人たちがびっくりした顔をして、わたしの胸を凝視したのです。
あの目がわたしには哀れみの目に見えて、ものすごく悔しくて、涙出そうでした。
もう、地団駄踏んで悔しがるような悔しさでした。
それ以来、
わたしの大事な無しおっぱいは子ども達とわたしのものなのです!
誰にも見せるもんか!
と、家族以外の誰にも自分の胸を見せないようにしてきたそうです。
しかし今回、お泊り会で会社の仲間とお風呂に入り、楽しく湯船を満喫しているうちに、ふと、思い当たります。
気づくとわたし、全くおっぱい隠さなかったのです。
といういことに。
家族にしか見せないようにしてきた自分の胸。
しかし、会社の仲間には見られても平気。仲間たちもpecoさんを見ても平気。
pecoさんは、自分の胸を「おっぱいバロメーター」と呼び、今回の出来事から、
わたしのおっぱいバロメータは、彼女たちを家族と判断したようです。
無しおっぱいがあって良かったことは、友達とか、信頼している人を見つけられることでした。
という気付きを得ています。
pecoさんの強くまっすぐに生きる姿勢に、わたしも心を打たれました。
最後に
乳がんに限らず、大きな試練、そしてそれを取り巻く環境、偏見や好奇や差別は、何が大事か、誰が大切な人か、そして、どれがそうではないかを測る、まさにバロメーターになることがあるのですね。まるで影が物事の姿を立体的に浮き上がらせるように。
この記事に締めの言葉を書くことはできませんが、何かみなさまの力になるのではないかと思い、紹介させていただきました。
ShortNoteは、エッセイ投稿サービスです。日常の話から、思い出ばなし、珍しい体験談、考察、聞いて欲しいこと、創作、日記まで、いろんなエッセイを読み書きできます。もしご興味があればぜひ一度ご覧になってみてください。
スポンサーリンク