桂小五郎「あり得ないにもほどがある」勝ち続けるための手段とは?幕末の剣豪「負けなければすべて勝ち」の強メンタルに学ぶもの

2023.09.01 WORK

武士のメンツの時代に「死んだらおしまい」を理解していた合理性。時代は変わり、新政府では重要な存在に

長州に戻った翌1866年1月、坂本龍馬などの仲立ちで、小五郎は薩摩の小松帯刀(*)と面会して薩長同盟が成立し、討幕へ向けた動きが加速していきます。その意味でも小五郎の功績は重要で、逃げ抜いて生きていたからこそ、その活躍があったのです。

*薩摩藩の家老で、朝廷や諸藩との交渉役を務めた。薩長同盟にも尽力。

 

1868年、明治新政府の政策・五箇条の御誓文の最終文案に小五郎が手を入れ、明治天皇の裁可が降りました。その後、版籍奉還や廃藩置県など新政府の体制作りにも貢献。小五郎は新政府のスタートに、かかせない存在だったのです。その後も1871年には「岩倉使節団」の副使として、欧米視察に出るなどもしています。

 

幕末の日本では、「武士の意地」を通して多くの人材が生命を落としています。困難に立ち向かったとはいえ、無理ながんばり方だったといえるかもしれません。「逃げの小五郎」がメンツを重んじて死んでいたら、明治政府に木戸孝允はいなかったのですから。ギリギリまでがんばらず、まずいときにはさっさと逃げる。無理せず、小五郎流で行きましょう!

 

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逃げる(桂小五郎)、泣きつく(足利尊氏)、人まかせ(徳川家綱)、スルーする(和泉式部)、世間を気にしない(前田慶次)、投げ出す(上杉謙信)、がまんしない(坂本龍馬)、こだわらない(徳川家康)、嫌われ上等(石田三成)、日常生活を放棄(葛飾北斎)、趣味に生きる(徳川慶喜)、本業やる気なし(足利義政)…など、いろいろなパターンの「がんばらなさ」を発揮した25人を収録。

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