坂本龍馬は「組織の中でうまくやろうと思わない」性分だった!? 広い視野で幕末を泳いだ「本当に自由な生き方」とは
組織にはこだわらなかった龍馬。常に外の世界に目を向けていました
1867年1月、土佐藩士で参政(藩主の代理人)の後藤象二郎は、藩外でがっちり人脈と声望を得た龍馬を見て、脱藩の罪を許し、龍馬を海援隊長、中岡慎太郎(*)を陸援隊長として帰藩させます。自由に生きて、土佐藩にとっても、必要とされる人材に育っていたのです。
*土佐藩士。土佐勤王党員で、龍馬のあとに中岡も脱藩。尊王攘夷活動をしていた。
この年の6月、後藤と京都へ向かう船のなかで示したとされるのが、有名な「船中八策」です。大政奉還(93ページ参照)や議会制度の導入などを示したもので、これをもとに10月、前藩主の山内容堂が将軍・徳川慶喜に建白し、大政奉還が決まります。この建白で、土佐藩はなんとか薩長に置いてきぼりにされず、明治維新をリードする雄藩としての面目を保ちました。
しかし翌月、龍馬は京都・近江屋に慎太郎といたところを刺客に襲われ、33年の生涯を閉じます。
「新しい日本ができたら、世界の海援隊でもやりますかいのう!」
この有名な言葉は現在、創作と見なされていますが、龍馬が多くの可能性を持っていたことは確かです。
薩長でもなく、幕府寄りでもない、第三の道「万機公論に決すべし(天下の政治は、世論に従って決めよ)」(*)──戦をせず、平和な世を創りたかったのが、龍馬の本心でした。
*五箇条の御誓文の第一条に記された一文。
龍馬は、最後まで「組織のなかでうまくやろう」というがんばり方はしませんでした。
今の場所や人間関係がしんどいなと思ったら、龍馬のように外の世界に目を向けて、まったく新しい方向を探ってみませんか?
飛び出すことは勇気のいることであり、今までの環境を失ってしまいます。
しかし思い切って踏み込めば、そこに楽しい未来があるかもしれませんよ!
『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』加来耕三・監修、ねこまき・画 1,540円(10%税込)/主婦の友社
逃げる(桂小五郎)、泣きつく(足利尊氏)、人まかせ(徳川家綱)、スルーする(和泉式部)、世間を気にしない(前田慶次)、投げ出す(上杉謙信)、がまんしない(坂本龍馬)、こだわらない(徳川家康)、嫌われ上等(石田三成)、日常生活を放棄(葛飾北斎)、趣味に生きる(徳川慶喜)、本業やる気なし(足利義政)…など、いろいろなパターンの「がんばらなさ」を発揮した25人を収録。
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