春から中学生。ADHDのわが子が、新生活で最初にぶつかる「生きづらさ」の正体 ~前編~
中学校生活が憂鬱な理由「スカートを履きたくない」
晴れて中学校入学が決定している長女ですが、憂鬱なことがあるそうです。それは「女子生徒用の制服を着ること」。
他の人がスカートを履いていることはなんとも思わないけど、自分がスカートを履いていることは想像すら無理!らしいです。
女子用の制服を着たくないことで登校拒否になるくらいだったら、その悩みを解消してあげたい。
だけど、本人の気持ちも優先させたところで、周りはどうだろうか。いじめの対象にならない?周りはどんな反応をするか分かりません。
身内である祖母ですら「ばかなこと言ってないで、女の子なんだからスカートの制服を着るに決まっているでしょう」と、猛烈に説得!
どうしようかなぁ……。
ずっと抱えていた“性別で分けること”の違和感
小学校入学前はスカートを履いていたのに、いつから嫌になったんだろう。これを機に、長女と膝を突き合わせてじっくり話し合ってみました。
長女と話をしてみると、小学校生活でも多々違和感はあったそう。たとえば、卒業式などの式典で指導される座り方もそのひとつ。
男子生徒であれば、両手を軽く握り太ももの真ん中に置く。両膝とつま先の間はこぶしふたつ分あける。
女子生徒であれば、両手を重ねて太ももの上に添えるように置く。なお、両膝とつま先とかかとはきちんとそろえること。
「マナーが大事なのは分かるけど、なんで男女別なの?」と聞かれた時に、思わず口ごもる私。
ほかにも、日常生活でのたわいもない一言が募ってフラストレーションになっていたそうです。
「女の子なのに、そんなことしたらモテないよ」
「なんで推しのアイドルがいないの? 女子はみんな好きだよ」
「なんで男子と交じって鬼ごっこするの? 女子なのに」
モテたくて生きているわけではないし、アイドルよりゲームが好きだし、走るのが好きだから、別によくない⁉と思っているようだが、荒波を立てたくないからか、いったんそれらの言葉を飲み込んでグッとガマンするとのこと。
長女は、「男だから」「女だから」で分けられると、こうであるべきだと押し付けられているようで違和感があるんだな。そう実感しました。
多様性を認める令和の時代なんだから、もはや長女の感覚の方が現代に近いような気もするけど……どうやらみんなが同じ感覚ではないみたい。
それはそうよね、昭和世代や平成世代に育てられているんだから(わたしも昭和世代だけど)。
しかしながら、まさか発達障害と強迫性障害に加えて、性に関しても悩むことになるとは……。
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