ADHD当事者、周囲の人、誰もが生きやすい社会とは?【 発達障害を映画化。北 宗羽介監督と考える】
認知されてこなかった大人の発達障害
我が子がADHDだという現実から目を逸らしてしまう、病院に連れて行かない保護者がいるそうです。しかし、そのまま大人になってしまった人はどうしているのでしょうか。北さんは、引きこもりになっているのではないかと考えています。
「発達障害という概念が世に出てきたのが、ここ25年くらいかと思います。しかし、それはあくまでも専門家の中で研究されてきたというだけで、社会的に認知されてきたのはここ数年くらいのことと思います。
実際、40代以上の人の中にも発達障害の人がいますが、その方が子どもの頃には発達障害という言葉すらなく、診断もされなかったのでしょう。“ちょっと変わった人だ”、“頭がおかしい人だ”と、済まされてきました。生きづらさを抱えたまま大人になり、最近になって発達障害だと診断された『大人の発達障害』も問題になっています。大人の発達障害の場合、生きる場所がほとんどなくて引きこもってしまう。引きこもりは10年以上前から問題になってきましたが、発達障害の人も結構多いのではないかと思います。」
周りに理解してくれる人がいるだけで明るく生きられる
外の世界に居場所がなく、引きこもりになってしまう大人の発達障害。しかし、発達障害でも明るく生きている人もいるそうです。
「映画の後援をしてもらった『えじそんくらぶ』の代表、高山恵子さんは、実に明るい人です。えじそんくらぶはADHDの人のサポートをする草分け的な団体ですが、もう25年くらい活動しています。高山さんは臨床心理士や薬剤師の資格を持っていますが、ADHDの当事者でもあります。アメリカに留学していた時も、物忘れや間違いがたくさんあったそうです。薬剤師なので色々薬品を調合するのですが、大学時代には薬品名を間違えて爆発しそうになったことがあり、他にも危ういことが結構あったと聞いています。アメリカでADHDを知り、自分もそうかもしれないと、帰国後に診てもらったらADHDだったそうです。当時は、アメリカでも発達障害の概念が出てきたばかりだったと思います。高山さんの場合、アメリカの風土もあったかもしれませんが、周りに理解者が結構たくさんいたそうです。」
映画の中では、朱里も絃も明るいというより暗く、解決の糸口が見えない問題を抱えて生きています。しかし二人は、互いに理解を深めていくことで互いに救われます。
「高山さんの場合、もともと明るい性格なのかもしれませんが、周りの人が理解してくれたので、それほどネガティブにならなかったのでしょう。ADHDの悪いところを見るのではなく、あるものにはものすごく集中できる才能があるとか、長所を見ることが大事です。周りに理解できる人がいるかどうかで全然違うと思います。」
もっと適当に、寛容になればいい
この映画の脚本を書いた神田凜さんも、「友達とか理解してくれる人を得ることで、生きる勇気を持ってほしい」と言っていたそうです。
「神田さんは、彼女たち二人に幸せになってもらいたいと願って書きました。二人がどうなるか分からないけど前向きに生きてほしいと。それには、友達とか理解してくれる人から生きる勇気をもらう必要があります。あと、神社の宮司のセリフがありますが、もっと適当に寛容にやれればいいと思います。当事者だけじゃなくて、周りの人もそういう器を持って接したらいい。そういう余裕がないと、たぶん互いに生きづらいのではないかと思います。」
発達障害でなくても、例えば、コンプライアンスなどのルールでがんじがらめになっている社会の中で生きづらさを感じている人も少なくないでしょう。
「今の時代は、これをちゃんとやりなさいとか、当然とはいえ、ちゃんと法律を守りなさいとか言われるでしょう。商品やものに対するクレーマーが多くなってきたので、それに対処しないといけないということもあるでしょう。昔よりも難しい環境になってきています。もっと曖昧なものを許容する、言語化しないで感覚として受け止める文化が必要ではないでしょうか。何かを曖昧にしておく方がいいこともあります。いろんな個性とか障害を持っている人がたくさんいるので、『これができないからあなたはダメだ』と決めつけること自体がおかしいかと思います。」
「ニューロダイバーシティ」という考え方
画一的に、誰かをその枠にはめ込むのではなく、多様性を尊重する社会だと互いに生きやすいことは想像に難くありません。北さんによると、発達障害を英語でニューロダイバーシティ、神経の多様性、脳の多様性と表現する考え方の中に入れるのが最近広がってきているそうです。
「日本でもそういう言葉を使い始めている人がいます。考え方とか脳の多様性をそれぞれ認め合おうという。発達障害という言葉になるとネガティブに捉えられがちですが、ニューロダイバーシティみたいな脳の多様性と考えるなら、もう少し積極的になれる。日本語より語感的にいいです、英語で『ニューロダイバーシティ』の表現の中に入れる方が、発達障害の本質に近いのではないかと思います。」
ただ、発達障害の人を受け入れる側に立った時、まだまだ厳しい面があるのも事実です。北さんは、リアルなADHDの子が現場で対応できなくなってしまったことが何度かあったと言います。
「実際に撮影現場で問題を起こされて本当に困ったこともありました。障害を克服する努力というか、対処ができないとプロとしてやっていけません。またそれに対応できる撮影環境(予算や時間)があればまた違うと思いますが、現実はまだまだ厳しいです。」
しかし、私たちはその現実を乗り越えていかなければなりませんし、乗り越えることで誰もが生きやすい社会へと歩みを進めることができるのです。北さんは、何が病気で何が正常かというのは、人間の心持ち次第だと言います。
「明らかに病気(疾患)ということもありますが、ちょっと人とは違うなという程度の人を病気にしてしまうと、本当に病気になってしまいます。グレーゾーンの場合、障害ではなく、人間の特性として捉えれば社会的な観点から障害ではなくなります。特性として捉えることができて、それを受容できる社会があれば、発達障害の人も自分の個性の一部として捉えて生きやすくなるのではないでしょうか。そういう人たちが積極的に社会に関われる器を社会が持つことが大事です。」
【岡田俊先生のここがポイント!】
発達障害の当事者にとって、「普通」という言葉はしばしば残酷です。「あなたはそんな風に考えたの?普通はそう考えないでしょう」という言い方はよくされがちです。この表現には、少数派の意見をきっぱりと否定している含意があります。このように打ちのめされるような体験を当事者は繰り返しているので、「普通」という表現に非常に敏感になってしまいます。
他方、「普通になりたい」という願いは、当事者や家族からも語られます。ここでいう普通とは何でしょうか。親は子どもの名前をつけるとき、子どもに特別な存在になってほしいという思いを込めて名付けることがあります。子どもだって、他の誰にもないとびきりの存在でありたいと願っています。普通になりたいというのは、大多数の人に受け入れるような感覚や考えが持てるようになりたい、という悲痛な願いなのです。普通に近づけるような振る舞いだけを求めていくと過剰適応になり、心理的にも苦しくなってしまいます。障害の有無にかかわらず誰もがその人らしくいられること、すなわち個性が尊重される社会が成熟した社会です。しかし、日本では同調圧力が強く、そのことが当事者を苦しめているように思います。
ニューロダイバーシティーというのは、脳の働き方によって起こる様々な多様性を尊重し、社会のなかで活かしていこうという考え方です。これは発達障害に変わる言葉というよりも、私たちが目指す社会の姿を示す言葉でしょう。
発達障害の「がい」の本字は碍であり、大きな岩の前で、先に進めず、思案に暮れている様子を示すのだそうです。障害は、当事者の側にだけあるのではなく、当事者と社会の相互作用のなかで、その特性が生きづらさとして「障害」化してくると言えます。ダイバーシティーを尊重した社会を実現するためには、ユニバーサルな価値観へと舵を切る必要があります。発達障害の人にとって役立つ工夫は、診断には至らないまでも発達障害特性を有している人にとっても有用です。他方、その発達障害特性を持たない人にとっても、少なくとも邪魔にはならず、むしろ役に立つのです。
発達障害のある子が、テンポが合う子、興味や趣味の合う子に出会い、繋がることがあります。そのような時に、情緒的に落ち着くとともに、社会性がぐっと伸びていくということがしばしばあります。なかには、発達障害の人同士が一緒に繋がることが有用な時もあります。そのような人との繋がりが、その人の居場所として機能していくのです。当事者会や家族会などで繋がりを持つ人もいますし、最近は、SNSなどでのつながりもあります。
でも、つながりの場には当事者が傷付きを抱えた場でもあるので、そこにつながることには恐怖心を持つこともあるでしょう。何よりも孤独、孤立無援にはさせないことが大切です。そして、その人らしいペースを大切にしながら、程よく人とのつながりを維持することが、気持ちのゆとりや生活の質に役立っていくと思います。
【国立精神・神経医療研究センター・岡田俊先生】
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長/奈良県立医科大学精神医学講座教授
1997年京都大学医学部卒業。同附属病院精神科神経科に入局。関連病院での勤務を経て、同大学院博士課程(精神医学)に入学。京都大学医学部附属病院精神科神経科(児童外来担当)、デイケア診療部、京都大学大学院医学研究科精神医学講座講師を経て、2011年より名古屋大学医学部附属病院親と子どもの心療科講師、2013年より准教授、2020年より国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所知的・発達障害研究部部長、2023年より奈良県立医科大学精神医学講座教授。
映画 『ノルマル 17 歳。 ― わたしたちは ADHD ―』
東京・アップリンク吉祥寺にて絶賛上映中(全国順次)出演:鈴木心緒、西川茉莉、眞鍋かをり、福澤 朗、村野武範 、小池首領、今西ひろこ、花岡昊芽 ほか。監督:北 宗羽介 脚本:神田 凜、北 宗羽介、音楽:西田衣見 撮影:ヤギシタヨシカツ(J.S.C.)、エグゼクティブ・プロデューサー:下原寛史(トラストクリエイティブプロモーション)、プロデューサー:北 宗羽介、近貞 博、斎藤直人
製作:八艶、トラストフィールディング 配給:アルケミーブラザース、八艶
後援:一般社団法人日本発達障害ネットワーク(JDDnet)、NPO法人えじそんくらぶ ほか
文化庁「ARTS for the future!2」補助対象事業
©2023 八艶・トラストフィールディング /80 分/カラー/5.1ch
【編集部より】
あなたや周囲に発達障害とともに暮らす方はいませんか? 生きづらさ、困っていることなど、お話を聞かせてください。 こちらから
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