ある東大OBが弁護士になった悲しいきっかけ。「私も家族も疲弊してしまって限界でした」

東大の講義の特殊性

東大の講義では、よくゲストがやってきます。毎回ゲストがやってくる講義もあれば、たまにゲストを迎える講義もあるし、全13回の講義をすべて異なる教授が担当する講義もあります。

 

昼休みや6限に講義や講演が催されることもあります。大学生主催の催しがどこかの教室で催されることも珍しくありません。

 

履修していない講義に出席するなんて、20年くらい前の東大生だったら考えられなかったように思います。

講義をサボって下北沢で麻雀をしたり、寝坊して出席票を友人に出してもらったりしていた時代の学生は、昼休みや通常の講義後の時間を特別講義に充てたりしない(気がします。少なくとも僕が通っていた頃の日大にはそんな習慣はなかった)。

今の学生にとってそのような催しは気分を高揚させる、特別な時間です。

友人を誘って食事やカラオケに行くように、「◯◯の講演があるから聞きに行こう」と声をかけます。

 

講義や講演にいらっしゃるゲストの属性は様々です。

弁護士や裁判官もいれば、コロナ禍で記者会見に出ておられた尾身茂先生もいらっしゃったし、官僚がやってきて所属省庁のP Rをしたこともありました。

元刑務官や元受刑者の話を聞かせていただいたこともあります。

それぞれ学びがありますが、仕事の実情を知って悲しくなることもあります。

 

 

ある東大OBが弁護士になったきっかけ

40歳前後のその弁護士さんは、司法試験合格後、20××年に◯務省に入省しました。

官僚として省庁に入ると異動が激しいようです。

短い期間に東京から札幌、神戸、山梨、広島、国外①、国外②へ転勤しました。そのため子どもを5つの幼稚園に通わせることになります。

引っ越しが多いので、友達はできません。

登園は泣いて嫌がったそうです。

 

海外赴任もあり、コロナ禍で日本の親族とも会えず、自らも配偶者も疲弊したため、退職して弁護士になることにしました。

 

東京大学の文化Ⅰ類の学生は、その何割かが司法試験を受験します。裁判官や検事になる人もいるでしょう。司法試験を受けず、官僚になる人も一定数います。

近年、官僚を志望する人は減っていて、以前は国家Ⅰ種、国家Ⅱ種としていた枠組みを国家総合職、国家一般職へと改め、総合職で採用する者の大学は以前より多様となっています(官僚から直接聞きました)。

東大を筆頭に国立や早慶だけでなく、多様な人材を採用するようになりました。

そのような採用困難な状況でも、せっかく入ってくれた優秀な人材を蔑ろに扱う人事がいまだ存在することをこの弁護士さんは伝えたかったのかもしれません。

 

入園から卒園までの間に、そんなに転勤させるなんてあんまりです。

理由があって転勤させるのだろうが、働く人の気持ちや環境に配慮しなければ長期的に組織の損失を生みます。

省庁の人事課の人は2~3年で異動するから、優秀な職員が辞めるころには人事課にいないし、辞めたとて責任を取らなくていい。

自分が在職している間だけ、上からの指示を守り、慣習的な異動をさせ、適正な配置を行えばいい。

5年後に、激しく異動させられた人がどうなるかなんて関係ないんだ。

自分の子どもが4回も幼稚園を変えることになったら嫌だろう。

想像力がない。ひどい。あんまりだ。

講義を聞いていて、官庁の旧態依然とした体質に呆れました。

 

 

【前編】では、司法試験に合格して官僚になった東大OB。優秀な職員だったのに退庁して弁護士に転身したのは、官僚たちが抱える勤務実態にあった…という話を伺いました。

▶つづきの【後編】では、東大教授や大学院生が、学部生たちのために惜しみなく時間と労力を費やす理由についてお届けします。__▶▶▶▶▶

 

 

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