東大の先生にとって「学生」と「マナー」は取るにならない。1泊2日の講義で気づいたこと

カエルのような東大生たち

さて、このような文字通り“泥臭い”作業は前日から予告されていました。しかし、この作業の後、すぐに講義は終了し、車で駅まで送ってもらう予定となっています。15分ほどの休憩もありません。ヘドロだらけのまま新幹線や深夜バスで東京に帰らなければならない。

ぼくはどうしても作業場にあるシャワーを浴びたかった。水槽と汗が混じり合った体臭を放ちながら、他の乗客の隣に座るなんて、社会的なマナーの範囲外だと感じました。だから、あらかじめ他の学生に相談し、事前に担当教員数名に話をしました。

先生たちは自家用車で近隣の家に帰るから、汗だくでも悪臭を放っても平気かもしれません、しかし学生は東京に帰らなければならない。そんな動物みたいな扱いは酷だし、他の乗客の気持ちを想像しないなんて不作為極まりない。そんなんだから「勉強しかできない」と揶揄されるのです。風呂に入らないで新幹線やバスに乗る社会人がいますか、先生意見を聞かせてください!とは言わずに、「シャワーを浴びたいです」と言いました。

先生は全く検討することもなく、時間がないという理由で取り合ってくれません。何度申し述べても、話し合うことすらできませんでした。

 

このときぼくは、自分たちがカエルになったように感じました。同じ人間として対等に意見を言い合い、妥協点を見つけ出す民主主義に参加させてもらえず、ほんの15分の休憩時間を作って東京に帰る前にシャワーを浴びたいという欲求を無下にされる。先生たちが教育者あるいは研究者としてどんなに紳士的に振る舞っていても、学生にも人権があって、最低限の文化的な行動を選択する権利があって、合理的な範囲で自由に意見を述べる機会を提供しようなどとは思っていない。

ぼくたちはカエルのように先生たちに全ての運命を握られていました。

意見を黙殺されても、連帯し強く申し述べればよかったとは思いません。なぜなら、他の講義と同じように、この講義も成績がつけられ、その成績が自分の大学生活や将来に影響を与えるからです。この力関係がある以上、先生たちに面と向かって意見を言うことができない。

学生はあまりにも無力。生きたまま殺される水槽の中のカエルなのでした。

 

 

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