38歳で東大に合格した芸人が、「学びなおし」の大切さを実感して、気づいた「公平性」の重要さ
東大生の深いつぶやき
空調の音すら聞こえない無音の教室で、ぼくの近くにいた学生がぼくにだけ聞こえるくらいの声で言いました。
「我々学生は、この建物の管理者が誰なのかわからない。だから、連絡してこの惨状を訴えることもできない。でも、先生はどうだろうか。先生は仕事を依頼されて目の前にいる。その依頼者はここの管理者と同一、あるいは近い人間だろう。連絡して、室温を調整すべきじゃないか。今この話をすれば多くの学生はぼくに対して厳しい目を向けるだろう。先生に対して厳しすぎると。しかし、我々と先生の立場は全く異なる。金を払って講義を受ける学生に求められる厳しさと対価を受け取って仕事をしている先生に求められる厳しさは全く異なる。先生は仕事として環境を整える義務があるし、よしんば義務がなかったとしても、環境を整えられる可能性がある。その可能性を無視して、管理者への連絡を放棄することを正当化できるだろうか。
今我々は学生だけれど、我々が取引先であっても同じように室温を下げることを諦めるだろうか。否である。絶対に諦めないはずだ。取引先の前では諦めないのに、我々の前では諦めていることすら気づかない。それは公平じゃないよ。そして、公平でないことは許されないよ。
念の為言っておくけれど、取引先の前でも諦めるとしたら、それは仕事のできない人間としての烙印を押され続けているだろう存在だ。そんな人間は社会人として評価されない。そんな人間は外れ値であるから無視していい。」
公平であること。大学で深く学んだことの一つです。平等とほんの少し似ているけれど、異なる考え方。室温を調整しない先生を擁護する人もいるでしょう。
しかし、公平でないなら先生の行為を正当化するのは難しい。仕事として結果を出すことが如何に大事か、社会に出る前に学生に見せてほしかったと思います。
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