「夫の男性更年期よりも、推し活!」の奔放な妻。妻のすべてが鼻につくようになった53歳夫の【折り合いのつけ方】
遊び人夫とブランド好き妻で均衡がとれていた
33歳と32歳で結婚した達也さんとえれなさんは、なかなか子供に恵まれず、不妊治療に治療に挑戦してやっとのことで娘の小夜さん(仮名)を授かります。
「えれなは38歳だったので、体重がなかなか戻らなくて、『子供は1人でいい』と言っていました。娘が小さいうちは、美人ママのわがままを『はいはい、分かりましたよ』と聞いている小太りなパパ。という構図で、なんとか回っていました。僕は僕で、美女への野心が残っていたので、たまに遊びましたけど、娘がいる手前、火遊び程度で真剣な不倫はありませんでした」
夫の夜遊びに気づいたえれなさんは当然激怒しましたが、ブランド物のアクセサリーを購入して謝罪すれば落ち着くことがほとんどでした。児童教育を専攻していたえれなさんは、子育てにも熱心で、小夜さんを着せ替え人形のようにかわいがっていたといいます。
「シンプルで明るく、深く考えないので根に持たないところが妻の良いところです。尻に敷かれている風を装いつつ、飲み屋では若い子と遊ぶ。僕も後ろめたいことがあるので、妻のヒステリーを受け流すのは苦になりませんでした。妻の趣味は着物と宝塚と歌舞伎で、金はかかりましたが見栄えがするので好きにさせていました」
しかし、娘の小夜さんに宝塚受験を強要しようとした際、夫婦のバランスが崩れたそうです。
「小学生の娘が『行きたくない』と言っているのに無理に宝塚受験を意識したスクールに行かせようとした時は、さすがに僕も本気で止めに入って『いいかげんにしろ。好きなことをやらせてやれ』と怒鳴りました」
小夜さんは動物好きで、獣医を目指していました。
「以前も、娘の夢に対して妻は『バカじゃないの。医者ならともかく獣医だなんて。しかも馬や牛? 北海道? あなた、女の子でしょ?』と不機嫌になり、娘が飼っていたカナヘビやアリも勝手に逃がしてしまう事件もあり、そろそろ僕も娘も限界に達していたみたいです」
これが達也さんにとって大きな転機になったと言います。
「その場では妻も怒鳴り返してきましたが、娘が泣き出したので、彼女が折れました。ズレてはいますが妻なりに『宝塚を受験する』というのは、娘の幸せを願ってのことだったようです」
その後、小夜さんは宝塚向けの習い事を辞め、学習塾に通い始めます。
「娘をはさんで喧嘩をした時、妻の般若のような顔を見て『眉間、ゴルゴみたいだな。老けたな』と、妻に対する感情がスーッと冷めていくのが分かりました」
それ以降、妻のわがままに対して、以前のように寛大に受け止められなくなりました。
「よく考えると勝手な話ですよね。えれなは昔も今も同じ人間なのに、ある日を境に急に彼女のわがままやヒステリーがうざったくなるなんて」