「父には『ごめん』『ありがとう』『死んだらこまる』すら言えませんでした」青木さやか、母の看取りと「人生会議」を語る
タレント・俳優としてだけでなく、エッセイストである青木さやかさんのファンの方も多いのではないかと思います。
2003年に「どこ見てんのよ?」で大ブレイクした青木さんは、2007年に結婚、2010年に出産ののち、2017年に肺がんにり患、2019年に再発の疑いで再手術。2021年に長年に渡る母親との確執を描いたエッセイ『母』を出版、大きな話題を呼びました。
そんな紆余曲折の人生を歩んできた青木さんが、11月30日に厚生労働省『人生会議』イベントにゲスト出演。自分なりに経験した『人生会議』についてお話を伺ったところ……?
自分の父母と話したことはありますか?「人生の最終段階をどう過ごしたいか」
改めて、『人生会議』をご存じでしょうか。アドバンス・ケア・ プランニング(Advance Care Planning)の愛称で、とりわけ人生の最終段階でどのような医療やケアを望むのかを改めて考え、信頼する人たちに思いを共有することを言います。毎年11月30日は「いいみとり」で人生会議の日、全国の自治体でイベントが行われます。
ちなみにまで青木さんは『人生会議』という言葉をご存じでしたか? そして、お母さまの看取りの際には経験しましたか?
「『人生会議』という言葉は知りませんでしたが、7年前、母は他界するときにホスピスに入りました。『母』にも記した通り、私は高校時代から母と折り合いが悪く、長い間母のことを好きになれませんでした。ホスピスではじめて『母に対する自分』と向き合った時間が『人生会議』だったかもしれません」
そもそものきっかけは、お母さまがホスピスに入った時、一緒に活動している動物愛護団体の方に「青木さん、これが最後のチャンスだよ、お母さんと仲直りしておいで」と言われたことだそう。
「その人に、『親孝行ってのは道理なんだ。自分自身が楽になるから、自分のためにお母さんと仲直りしてみたらいい』と言ってもらえて。その人を信頼していたのもありますし、何より当時は自分自身が八方ふさがりで、人生を変えたかったのです。肺がんにかかり、パニック障害になり、さらに離婚もして、人生がうまくいっていませんでした」
反省もした、と言います。自分がそれまで行ってきたことを振り返り、やり残したことは何だろうと考えたとき、いちばん大きいのはお母さまとの仲直りだなと気づいたそうです。
「その2年前に父が亡くなっていました。父との最後の会話は電話で、娘の話をしたら『お前が悪い』と言われて喧嘩になりました。次に会ったときに普通に話せばいいと思っていたのですが、次に会ったときの父親は病院のベッドでほとんど意識のない状態で」
動揺して、何と声をかけていいかわからなかった、と青木さん。
「『ごめん』『ありがとう』『死んだらこまる』すら言えませんでした。それから何年たっても、たとえば家にひとりでいるとき、車を運転しているとき、ふとした瞬間に『ありがとうと言えばよかった』『ごめんなさいって言えばよかった』と後悔が浮かびます。その後悔を母で繰り返したくないと思ったのが私の『人生会議』の理由です」
長年不仲の母と『人生会議』を行うため、車の中で大声で「お稽古」を続けて用賀から名古屋へ向かうが
しかし長年の不仲を抱えると、なかなか「きっかけ」を掴むのは難しいものでしょう。しかも、青木さんの場合、お母さまに親孝行をしてこなかったというわけではありません。「ですが、孝行の場でもいつもいつも、私の側が不機嫌だった」と振り返ります。そんな青木さんは、いよいよホスピスに向かう初日、お母さまに「決意表明」を伝えようと心に決めたそう。
「ここから母が亡くなるまでの時間を『機嫌のいい時間』にしようと思い、用賀から名古屋までの車の中で、顔つきと声をずっと練習しました。大きな声で『お母さん、私はいい子じゃなかった、ごめんなさい』『ごめんなさい、私はいい娘じゃなかった』『お母さんごめんなさい私はいい娘じゃなかった』」
車中の約2時間、そんなお稽古をひたすら続けて、病室の入り口をくぐるやお稽古の通りに大きな声で言いました。「お母さん、ごめんなさい。私はいい子じゃなかった」。
「そうしたら母は『何言ってるの、あなたはいつでもやさしくていい子だったでしょ』って。準備した言葉を言うことだけはできたけれど、その次を準備していなかったので、私はそのまま東京に帰ってきました。『人生の中で頑張ったことは何ですか』と質問されたら、これだなと思います」
青木さんは子どものころから「母はできのいい弟を大事に思っている、私は大事ではない」と感じていたそうです。しかしホスピスで「どうやらこの人は私のことを大事に思っているのだ」とういうことが心に入ってきたと言います。それはとても貴重な体験であり、また青木さんの自信にもつながりました。当時嬉しいと思う余裕はなかったものの、あとで考えたら大きな出来事で、またご自分の子どものころのことを思い出しもしたといいます。
「ホスピスでほとんど母の意識がなくなったとき、隣のソファに座って過ごせたことは、穏やかな時間でした。ふと新聞のテレビ欄を見ると、母が見たい番組に赤く印をつけて。そういえば子どものころ新聞受けから新聞をとってきて、家族全員が自分の見たい番組に印をつけていたな。そのころの自分の気持ちには好きや嫌いはなく、ただ穏やかないい時間があったなと、そんなことを思い出すことができました」
母の人生に向き合うと、自分の人生にも向き合えた。『人生会議』は必ず自分の内面にも投影される
青木さんは、お母さまと向き合うことも大事だったけれど、こうして自分自身の記憶と向き合ったことが自分自身の『人生会議』になったと振り返ります。
「自分が母親を嫌いだとはずっと思っていましたが、なぜ嫌いなのかを掘り下げるのはつらいので蓋をしてきました。でも、母は自分のことを大事に思ってくれていたんだなと思えました。看護師さんたちが教えてくれるんです、母は私がテレビに出る日にその宣伝を一生懸命していること、私が東京から向かう日はカレンダーに赤く丸をつけていること、3時くらいに行くよと言って5時6時遅れるとすごく心配をしていること。そういえば実家に時間通りに行ったことがなくて、きっとずっと心配をかけていたんだなと気づきました」
お母さまは何十年も日記をつけていて、青木さんはその日記をこっそり見てお母さまが嫌いになったそうですが、看護師さんたちには見せていたそう。そのくらい周囲の医療関係者に心を開いていたのかもしれないと感じたそうです。
「ホスピスでの母との会話はいくつかあるけれど、美しいものではありませんでした。私はもうちょっときれいなものをイメージしていたけれど、普段の母のまま、むしろ苦手だった母の性格がより強くなって出てきてるなと思いました。個室の隣で寝ていると8時に『起きなさいみっともない』と起こされ、『布団をきれいに畳みなさい』」
そんなの誰も気にしないと思うのだけれど、お母さまはとにかく「外ではきちんとしなさい」「誰が見ているかわからないから」が口癖だったそう。
「『タオルもきれいに畳みなさい』『その引き出しにちゃんと入れなさい』『新しいのは下に入れなさい』。そういう母が好きではなかったけれど、そのおかげで私はちゃんとしてるように見えるし、お笑いで下品なことを言っても『青木さんは品があるからだいじょうぶ』と言われました。母のおかげかなと」
『人生会議』を行うメリットって? 青木さんの場合は「自分の人生の棚卸しでもあった」
こうして行った『人生会議』ですが、青木さんにとってはどのようなメリットがあったのでしょうか。
「これが『人生会議』だとすると、私にはメリットがありました。私は本を書きますが、その最大の収穫は自分の辛い記憶を過去にすること。書いている最中は自分の心の中をほじくる作業でとてつもなく辛いのですが、書き終わるとその悩みが過去になり、そこには私はもういないという感じになることです。読者の方が『お辛いことがあったのですね』と声をかけてくださるのですが、私の中では過去のことになっているのです。同じように、こうして向き合うことが私自身の『人生会議』だったのではないかと思います」
この意味では、こうした話をすることなく見送ることになったお父さまのことを今も思い出すと青木さんは言います。
「今日いろいろなお話を伺いながら父を思いました。父は愛知の田舎の病院にかかっていました。お金を出すから東京に出てきて最新治療を受けてくれと頼んだのですが、父はかたくなに断り『この病院でいいんだ』『ここの人たちがいいんだ』と言い張りました。結局その病院で亡くなったのですが、私自身が肺がんで入院したときにわかりました。心細いのだけれど、このお医者さん、看護師さんがきてくれるとすごく楽になるという経験があって。病院の方々には本当に助けてもらいました。改めて、父にそいういう思いをさせてくれた病院にものすごく感謝しています」
やってみてわかった。周囲にも「人生会議」を勧めていきたい
改めて、自分自身のこうした『人生会議』を振り返っていただくと、どのように感じますか?
「7年前に肺がんになり、今もおかげさまで元気ですが、がんになったことは私にとって大きなできごとでした。死ぬかもしれないと思ったとき、人生を変えたいと思って、それからは生き直しをしています。病気は怖い、手術も怖い、経済的にも怖いのですが、一番怖いのは『また病気になるかもしれない』という不安を抱えることです」
いま青木さんが生活の大切な柱にしているのは「不安を持たないこと」だそう。
「不安を持たないために、疲れてぱたりと寝られるよう忙しくしています。動物愛護の活動を続けていますが、この活動は24時間やることがあるので暇だと言っている時間がないうえ、動物たちに教えてもらうことがあります。たとえばですが、生まれつき顔つきの悪い犬はおらず、虐待されることで顔つきのわるい犬になります。弱っている動物に対して毎日同じ声掛けをして、ご飯をあげていると、ちょっとずつ顔つきが柔和になり、やがてご飯を手から食べるようになります。時期がたつと新しい家族のもとにもらわれていく、この変化がとても美しく、こう接するといいんだと日々教えてもらっています。私の人生に於ける考え方の基盤になっています」
人とのご縁も動物たちがくれると言います。愛護活動を経て知り合いになった人たちが1000人以上いるのだそう。助けたり、助けてもらえたりという関係性を作れる知り合いがこれだけいるのはすごいこと。
「家族や友人らと生き方について共有する『人生会議』の意義もわかりました。周囲にも勧めたいです。私は娘に自分の肺がんを隠していて、娘はネットニュースで母の病気を知り、『ママ、なんで隠していたの?』と言われました。娘には娘の意思があるのですから、言わないほうがいいという固定観念はこれからなくしていいのかもしれません。自分自身とも、仲のいい友人とも、『人生会議』をやっていけたらいいと思います」
興味はある、やったほうがいいけれど、実際どのように人生会議をすればいいの?
これから年末年始に実家に帰省する人も多いでしょう。この機会に、いままだ元気なご両親がどのように人生を過ごしたいのか、確認してみてはどうでしょうか。たとえば、以下のサイトには『人生会議』を行う助けとなるリーフレットが置かれています。
https://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/
実際にステップごとに行ってみる場合、読み上げながら一緒に話し合ってもいいのかもしれません。
https://www.med.kobe-u.ac.jp/jinsei/acp/index.html
『人生会議』、興味を持ったらぜひチェックしてみてください。