梅宮アンナ「この病気になってみてわかったことがたくさんある」。じっくり考える時間が増えて意識したことは
ステージⅢAの小葉がんを治療中の梅宮アンナさん。「病気を公表してから、アンナさんはいっそう輝きが増している」という声があちこちから聞こえてくるようになりました。
11月7日に右乳房とリンパ節の摘出を受け、11月14日に退院。12月5日には2つめの抗がん剤「パクリタキセル」での治療がスタートし、すでに5回目の投与を終えました。そんなアンナさんがいま思うこととは? 1月の気持ちを4回連続でお伝えします。
【独占連載「アンナの日々」#6】4
痛みは我慢せず具体的に訴えて。緩和ケアにつなげてもらう必要がある
手術後はずっと痛い、痛いと言っていました。「どう痛いか言葉にしないとわからないよ」と言われるのですが、どう表現すればいいのかがわからない。傷が痛いのか、体が痛いのか、お腹の中が痛いのか。私の場合はたぶん、これら全部のミックスだったので、より言葉にしにくかったです。
どんな体勢を取っても痛いの、上を向いても痛いし横でも痛い。あまりに痛いので神経に作用する薬を増やしてもらい、神経2:睡眠2の比率になりました。すると、夢遊病みたいな記憶にない行動が出て、薬剤師の先生には副作用ですねと言われました。でも、神経の薬だけにするとまったく眠れなくなり、睡眠をとらないとすでにむくんでいる手がパンパンのグローブみたいになってしまって。睡眠って大事なんだなって思いました。
多く見積もって術後3カ月くらいは時期は薬を使って生活しないとどうしよもうないですね。カロナールもそうそう効きません。術後10日間くらいはカロナールだけだったのですが、退院後1週間めの初外来で体液を注射で抜いてもらったとき、あまりにも痛いと訴えてはじめて緩和ケアにつながることになりました。訴えないとだめなんだってわかりました、痛いものは痛いって訴えるべきです。
緩和ケアでは先生が薬について細かく説明してくれました。「カロナールは4時間くらい効くから1日4回までいいですよ、この薬は即効性はなくてじわじわと効いてきます、こちらは傷ついている神経の薬です」。緩和は人それぞれのオーダーメイドだそうで、私の場合は痛いと訴えてはじめてこれらが出てきました。
11月7日に手術で、12月に入ってこれらの薬を出していただけたことでかなりよくなりました。薬が自分の痛みと体の状態に合うようになったこと、また、自分の体がもつ再生力も重なったのでしょう。12月12日ごろかな。薬をうまく使えるようになったことで、年末年始ごろは痛みも相当ラクになりました。
みなさんコメントでは「ゆっくり治しましょう」と言ってくださるのですが、それも人それぞれかもしれません。私は急ぎたいタイプ。ハイペースに、鉄は熱いうちに打てというのが私にとっては普通だから、急ぎながら治したい気持ちが強いのです。でも、人によってはゆっくりが好みの人もいると思います。私、ゆっくりごろごろしてたらきっと痛くて死んじゃうんです。
痛みがどうにか普通になってきたら、脳と体を動かす指示がリンクするようになってきました。1ケ月目までは脳が痛みに占領されていて、痛みそのものをうまく理解できない感じでした。頭と体と心がバラバラ、あれはひどかったな。執刀医にリンパ浮腫が怖いから何かしたいと相談したのですが、リンパ浮腫ケアの外来はその時点で予約すると2ケ月後なんですって。私はその時点で自分で探し始めて、前述の通り予防できるケアをいくつか見つけました。私は自宅まで来ていただけるところを探しましたが、これも自分で行きたい人などそれぞれですね。
「私と一緒なんだ」という共感が、私たちの闘病を少しずつ前向きにしてくれる
なんで私がこんなに「何が起きているか」詳しくみなさんに発信しているか、それには理由があります。私はJ.Loが大好きで彼女の髪型に憧れていますが、たとえばそのJ.Loががんにり患したとすると、彼女はきっといろいろ発信してくれると思うんです。そして私は、「そうか、あのJ.Loでも痛いのか」って思うと思う。きらきらしたスターがそうして感情を見せてくれると、「私と一緒なんだ」という共感、つながりがより深くなり、安心感が生まれると思うのです。だから、いま闘病している人たちに「アンナちゃんも一緒なんだ」って思ってもらえたらいいな、って。
病気は何であれ傷つきます。どんな人でも、口にしないだけで深く傷ついています。だから、だれかカッコよく振舞っている人が自分の替わりにリアルな気持ちを言ってくれると、私も一緒って安心感がより深くなります。
2019年から白血病で闘病していた水泳の池江璃花子選手は、昨年のパリオリンピックに出場しましたよね。血液のがんの治療ですから、私よりもっと大変だったかもしれません。それでもオリンピックに戻れるだなんて、どれだけ私に希望を与えてくれたか。私はまず、一段落したらゴルフがしたいって思っています。いまはそのため、元の自分により近く戻るためにリハビリをがんばっています。ゴルフをしたい、砂漠もまた行きたい、登山もしたいし、アイスホッケーもしたい。運動する体に戻りたいのです。アイスホッケーは今年からアンバサダーに就任しました。
リンパ浮腫の予防も兼ねてコツコツとリハビリを続けて、やっと痛みが落ち着いてきた、リハビリはとても痛いし辛いけれど、というこの経験を発信すれば誰かのためになる。そう思ったら私は動けます。自分のためだったら動けません(笑)。
私のメンタルは意外に体育会系なのですが、そういうイメージもきっとないですよね(笑)。私は30代にマラソン、登山、トレイルランにのめりこみました。2010年には砂漠を走るサハラマラソンにも自力で出場しています。残念ながらリタイヤしてしまいましたが、こうしたスポーツがトレーニングとしてメンタルを強くして、結果闘病に役立ってくれました。誰のためにでもなく、自分が何かに耐えられるように訓練を積み重ねたことには意味があったし、楽しかったです。
病気が教えてくれたことはたくさんあるけれど、中でも印象に残っているのは
がん経験者の皆さんは、手術や闘病が痛い、辛いということを、怖がらせないよう配慮してあまり口にしないのかもしれませんが、でも私は先輩たちにどのくらいの痛さかを言っておいてほしかったです。心の準備が必要だから。乳がん手術の体験者のブログを読むと大抵「そんなに痛くない」と書いてありました。もしかして胸だけなら痛くないのかもしれません、私はリンパ節も郭清したせいかもしれませんが、脇は絶対に痛いです。痛いことを我慢せずに痛いと言っていいのだと思う。
病気になって、いろいろじっくりと考える時間が増えました。そして、ひとりの時間が長すぎるとどうしても自己中になってしまいそうなので、改めて誰かと支え合って生きていきたいと感じ始めました。もう結婚はいいかなと思っていましたが、やっぱりしたいと思うようにもなりました。何かあったときに第一報を伝えてほしいし、私も伝えたい。パートナーのままだと、いざというときに病室に入れないんですよね。
闘病しながらいろいろな方に接して、こうすればいいのかと態度も学びました。やっぱりこの病気になってからなんですよ、いろいろなことが起き始めたのは。
病気がわかったとき、私にとっては衝撃的な言葉をかけてくれた人がいました。こういう病気になりましたと伝えたら、ほんの一瞬考えてから「そっか、じゃあ快気祝いでハワイでゴルフだね」と。素晴らしい返し方ですよね、「アンナちゃんなら大丈夫だよ」じゃなくて、生きているかどうかわからない私に来年の約束をしてくれた。私の少し先の未来を信じてくれたのですね。こういうふうに、私も誰かにできることを精一杯見つけていきたいです。
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