「よし、学校に行こう」と決めた私。女性は50代からが本当に自由なのかも、と思えてなりません

2025.03.24 LIFE

日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。体験談をご紹介します。

<<この記事の前編:「これからの人生は自分のために使おう」50歳で乳がんが見つかった私。仕事と子育てを両立するために、ずっと自分の時間を犠牲にしてきたけれど

 

◾️ユミコさん
大阪府在住の50歳。56歳の夫、4月から大学生になる息子と3人暮らし

【私を変える小さなトライ#23】後編

「いつかこういう仕事ができるといいな」。胸に秘めた夢を思い出す

乳がんの手術後、年末年始を経て、会社は2カ月半で退職しました。実は、いちばん最初に「要検査」の文字を見たときに「これはただでは終わらないかもしれない」という直感があって、その瞬間、「日本語教師をやろう。そのための学校に行こう」と思ったんです。

 

もともと、大学で中国語を専攻し、若い頃には留学もしていました。卒業後は外資系ホテルや航空会社に勤務していましたが、2003〜2004年に広がった感染症SARSの影響で退職しました。20年前、妊娠5カ月のときには日本語学校でボランティアを1年弱ほどやったことがあります。そのときの生徒さんが台湾人で、ボランティアを辞めた後もずっと交流が続いていて、その方が日本語をどんどん自分のものにしていく姿に、私自身も喜びを感じていました。

 

さらに月日は流れて、息子が高校1年のとき、市の国際交流協会で半年ほど日本語を教えるボランティアをしたときも、やっぱりとても楽しくて……。「ああ、いつかこういう仕事ができるといいな」と思っていたんです。

 

「もし、がんの宣告を受けて、治療が始まったら、動けなくなるかもしれない」と早々に学校の説明会に行きました。

 

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