【「アリンス国」の廓(くるわ)言葉とは?】「花魁(おいらん)」って何の略語だと思う? マンガに出てくる「~ざんす」「~ざます」も、もとは女郎が使う言葉だった!? ≪『べらぼう』時代考証家が語る江戸裏バナシ≫
大河ドラマ『べらぼう』の舞台となっている吉原。花街に生きる女郎たちの衣装やしぐさなど、独特な文化もドラマの見どころのひとつですよね。とくにあの「~でありんす」という言葉遣いは印象的! でもそういえば、「ありんす」って何なのでしょう?
『べらぼう』の吉原風俗考証を担当した山田順子さんによれば、なんと廓言葉の「共通した正しい使い方というものはわからない」のだそう。一体どうしてそんなことに!?
著書の中から、この不思議な廓言葉について、「生まれた理由」や「使われた背景」をご紹介したいと思います。
※この記事は『吉原噺』山田順子・著
「アリンス国」の廓(くるわ)言葉、一体どこからやってきた?
吉原を「アリンス国」と言い出したのは、明和年間(1764~1772)の川柳作家だそうです。当時蘭学を学んでいる人たちが「アメリカ国」「イギリス国」と呼んでいたのをもじって、「アリンス国」としゃれたのです。
では吉原はなぜ、「アリンス国」なのか、それは口語の基本である「あります」を「ありんす」ということで、廓言葉の代表としてとらえたからです。これらは決まった成語とかはなく、動詞の後ろについて使われる「ます」を「んす」に変えるなど、助動詞を工夫したものです。
しかし、これは最初からこのように工夫したわけではなく、いろいろ話しているうちに自然となってしまったというべき不思議な言葉なのです。
江戸の庶民からしてみれば、同じ江戸なのに、なんだか違う言葉を話している女郎は不思議な人たちに見えたのかもしれません。これはひとえに吉原を異界に見せようとした吉原自身の演出だったのです。
元和(げんな) 3(1617)年に日本橋近くに遊廓が開業したき、指導者として遊廓先進地の京の島原から、傾城屋を何軒か誘致したのです。それに伴って、出身地がばらばらだった女郎たちの言葉を京風にするように指導しました(今も昔も、男性は京言葉がお好きなようです)。
しかし、語尾が強い関東の訛(なまり)から、一気に京訛りになるわけもなく、それぞれの女郎屋で工夫をしていったのです。
そのため、吉原全体が同じ訛りを話すのではなく、店ごとに、さらに花魁の先輩後輩などの系譜で、違う訛りを話すこともありました。さらに、各地の言葉が混ざって、吉原独特の訛りも生まれ、これらを総合して「廓(くるわ)言葉」と言います。
どんな地方から来ても、この言葉を習得すれば、田舎訛りが隠れて、吉原の女として通用するのです。
【次ページ】マンガのあのキャラが使う「~ざんす」や「~ざます」も、吉原から生まれた!?
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