岩井志麻子 40歳を過ぎると「みんなセックスレス」問題について
子どもの頃、親に必ず怒られる言い方として、「みんな持ってるもん」「みんなやってるのに」というのがあった。
「あれ買って~、みんな持ってるもん」そういうと親は決まって、
「本当にクラス全員、いや、日本中の子どもが持ってるのか」と突っ込んで来た。
夜遊びを怒られたりしたとき、「みんなやってるのに、なんで私はだめなの」とふてくされたら、
これまた必ずや「みんなが死んだらお前も死ぬのか」と返されるのもお約束。
「みんな、〇〇だもん」
なんだか最近よく、そういって怒られていた子ども時代を思い出すのは、セックスレスに悩む周りの中高年に出会うことが多いからだろう。
「レスレスいうけど、本当はみんなしてるんでしょ。うちだけしてないのかも」
これだけセックスレスが話題になって、雑誌などで特集が組まれてたりしていても、
「みんなしてないといいつつ、しているんじゃないか」なんて不安や不満を覚えるあたり、子どもの頃のそれとは逆なような、おんなじなような。
「みんな〇〇だから」しないのか?
ただあの頃のように圧倒的な、
「本当に町内の夫婦全員、いや、日本中の夫婦が毎晩やってるのか。やってない夫婦もいる」
もしくは
「本当に町内の夫婦全員、いや、日本中の夫婦が何年もやってないのか。やってる夫婦もいる」
と押さえこんでくる大人がいない。
「みんながセックスしたら、お前もするのか」「みんながセックスしないなら、お前もしないのか」と、むちゃぶりしてくる親もいない。
なのにみんな、あの頃の子どもみたいな口のとんがらせ方をして、親がそんなふうに怒ってくることを想定しているようじゃありませんか。
「みんなが〇〇でも」
セックスするのは大人。
あなたも私も大人なんだから、みんなが持っててほしいと感じたものは自分で買えばいい。
誰か買って~、じゃないよ。自分で買おう。
みんなやってるのに私だけやれない、なんて感じたら、親の言葉を思い出そう。
みんなが死んだら、私も死ななきゃならないってことはない。
みんながやらなくても、私はやる。
みんながやっても、私はしない。
そう、今ならいい返せる。自分も大人だから。