この2年で、同期とそれに近い同僚が3人亡くなった。みな突然死だった【アラカン☆モスクワ女子大生日記】

2026.09.28 WORK

60歳の定年まで残すところあと半年足らずのミリさん。「いまの私は次の10年を考えるよりも、これまでやり残したことを片付けていく1年」と語ります。

そんなミリさんが突如として26年8月末、長年の積み残しだった「ロシアへの留学」を果たしました。2026年のモスクワで女子大生を再履修するミリさんの不定期日記をお届けします。今回は前回よりも日づけを遡ります。

【アラカン☆モスクワ女子大生日記】#2後編

アラカンが「戦時下のロシア」へわざわざ留学した理由。伊達や酔狂ではなく

30年以上勤めている会社は、定年まで残すところあと半年余り。この2年で同期とそれに近い同僚が3人亡くなった。みな突然死だった。使い方を知らない有給休暇は50日以上ある。

 

今年の春、入って2年目の外国籍の後輩が、「里帰り」と称して、4週間の休みを取った。有給どころか、有給の前借りをして。実に当たり前のこととして。そんないろんな「点」が重なったところに、<アラカン、戦時下のロシア、大学留学>が立ち上ったのだ。

 

申請はしたものの、合格通知はいつまでも届かなかった。4月になっても、7月になっても、8月の飛行機出発前日になっても。問い合わせをしても返事は来ない。書類の代行をしてくれた旅行業者に聞くと「戦争のせいで、すべての手続きは滞っているようです」という。大学時代の成績、あれじゃあ合格しないよね……と半ばあきらめて、イスタンブールから先をイタリアにする気もなくなり、チケットは払い戻した。

 

その翌日、当初出発の予定をしていた日、突如「ビザ申請をするように」との知らせがメールで届いた。これが合格通知と言うことらしい。そこから慌てて赤羽橋の怪しい雑居ビルの一室にあるビザセンターに向かった。

 

今年、日本人2人がこの奨学金を得た。もうひとりは当然前途洋々たる大学2年生だった。私が選んだのはモスクワ大学から独立した、文学と言語学を専門とするロシア国立プーシキン記念ロシア語大学。ここで学ぶ学生の半分以上はロシア人だが、寮に暮らすほとんどは外国人だ。トルコ、民族衣装をまとったアフリカ、イタリアやフランス、モンゴルや韓国からも来ている。

 

だが圧倒的に存在感を示しているのは中国人だ。プーシキン大学だけで377人の学生がこの奨学金で来ているという。自分も来ておいてなんだが、「戦時下のロシアに来ることについて、親御さんは心配しなかった?」と尋ねると、「私たちはロシアの国に招待されてきているんです。だからなんの心配もしていません。ここで勉強することはこれからの私の人生にとってとっても大きなチャンスなんです」と答える。

 

学習意欲もさることながら、彼らの存在感はクーフニャでも発揮された。持ち込む調理器具、食材、作るものがスゴイのだ。炊飯器は当たり前、圧力鍋や火鍋、火力の強いコンロまで本国から持ってきている(寮の各階には4つ口の電磁コンロが3台あるのに……)。さらに故郷に伝わる秘伝の調味料の数々。それらを駆使して毎晩作る中華料理は本格的だ。隣にいて食欲をそそられるものばかりだ。彼らは気前が良く、私のわびしい食事を見ては「一緒に食べよう!」と鍋をつつかせてくれる。

 

なぜキルギスの寮母は「私にはまったく理解できないね!」と声を上げたのかというと

そのクーフニャの様子。

そんなところに現れるのがキルギスの寮母だ。彼女は大きな牛肉の塊と丸ごとのビーツを煮込んでいる。横で料理をする私に話しかけ始めた。「あんたいくつ? 結婚はしてるのか? 子どもはいるのか? なんでロシアに来たのか? この学校で何をしているのか?……」。ひとつひとつの質問に答える。

 

「59歳です。結婚しています。子どもは一人います。ロシア語を勉強したくて来ました。」 彼女は「そんな年でなぜ?」と畳み込んでくる。積み下ろし、というロシア語がわからず、「『夢』だったんです。ロシアで勉強することが」と答えると彼女は爆発した。

 

「『夢』『夢』って、あんたいくつだと思ってるの?」

 

(だよね……。たかだか1カ月勉強したからと言ってロシア語が話せるようになるわけはない。仮に奇跡的にぺらぺらになっちゃったとて、それをこれからの仕事に? 何者かになる? そんな年頃ではないということはわかっている。子どもも置いてくるほどの『夢』か?)

 

寮母の剣幕に、にぎやかに料理をしていた中国人たちが黙り、こちらを注視している。

 

「あの、あなたはおいくつですか?」と私も尋ねる。寮母は「61歳。夫も子どももいる。みんなキルギスにいる」。 私「じゃあ、ほぼ同級生ですね! でもどうしてモスクワに? どうしてそんなにロシア語が上手なんですか?」 寮母「キルギスの学校ではロシア語はみんな習う。ここには仕事があった。だから来た。フショー(それだけのこと)」。話はそこで終わった。

 

こうして私の1カ月女子大生生活がスタートしたのです

なんだか私はうれしかった。アラカンというのに甘っちょろいことを言っている私にガツンとしてくれたことが。彼女と友達になりたい。いろいろ聞きたい。

 

(世界では60歳をどんなふうに迎えるのだろう? 60歳に許される『夢』ってなんだろう?)

 

その一件があって謎の日本人の正体が少しわかったからなのだろう。毎日「あんた部屋番号は?」と聞かれることもなくなった。そして寮母は(60も近くなって『夢』だなんて。ふん、理解はできないけどこんなけったいな奴もいるんだね。まあいいわ)という感じで受け入れてくれた(ような気がする)。

 

学生証をもらえた時、たまたますれ違った寮母に報告すると「おめでとう! よかったね」と笑顔を見せてくれた。煮物をし始めたものの、ごみを捨てに行かねばならなくなったようで、火から離れることを警戒した寮母が私に「あんたしばらくここにいる? 吹いてきたら、蓋をして弱火にしてくれる?」と頼んでもくれた。

 

という洗礼を受けて、1カ月の私のモスクワ女子大生生活が始まった。

つづく

前編>>>60歳を前に私は「借りを残したこと」を考えた。「今後のこと」ではなく

 

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