木佐彩子にみる「マウンティングするオンナ」その大変残念なお育ちとは
少し前に、編集者にマウンテイングについてどう思うかと聞かれたことがあります。
ちょくちょくネットでも記事は読みますが、私自身はされたことがないので、何とも言えません。そんな感じの時に、ネットフリックスで古い邦画を見ていて思ったのです。
日本のオンナ、めっちゃ謝ってんな。
かつて日本のオンナは「どれだけ理不尽でもとりあず謝って」いた
たとえば、「櫂」。宮尾登美子センセイのお母さまをモデルに描いた小説を映画化したものです。
宮尾センセイのお父さまは芸妓娼妓紹介業(貧しい家の少女と置き屋をつないで、紹介料をもらう)をしており、妻の喜和は「そんな人買いみたいな仕事は許されない」と内心反対していますが、大正時代の話ですから、夫に逆らうことなど許されるはずもありませんでした。
で、この喜和がよく責められ、謝っているのです。
喜和の息子がやくざ者に刺されて命を落とした時は、「おまえが目を離したから」「長男なのに」と責められ、喜和は謝っている。
夫がよその女と子供を作り、生まれた赤ん坊をいきなり育てろと家に連れてくる。それを拒否すると、置き屋の女将さんがきて、「妾を持つのは、男の甲斐性。妾の子を、本妻が育てるなんていくらでもある話。あんたのせいで、夫が肩身の狭い思いをしている」とお説教される。意味わかんないっす。
オンナが謝るのは、昭和の犯罪ものでも一緒です。
ノンフィクション作家・佐木隆三センセイ作の「復讐するは我にあり」は、さして深い動機もなく、5人も殺した連続殺人犯の足跡を追っています。
主人公は殺人以外にも前科があるのですが、出所するや否や母親に小遣いをせびり、パチンコに興じたりしています。その代わりといっては何ですが、妻は「夫が申し訳なかことしました」と周囲に謝り続けている。
主人公は浜松の旅館に逃亡し、そこの女主人と母親と親しくなります。女主人は妾であり、ダンナに捨てられかけていますが、それを母親に「メカケのくせに」「おまえがだらしないから、捨てられる」と責められる。
ですが、令和でもオンナは相変わらず謝っています
さて、令和はどうか。
執行猶予があけた元プロ野球選手・清原和博氏が元妻でモデルの亜希と復縁するのではないかとみられています。
「家族の支えがあれば、更生できる」と応援する人が多いそうですが、これ、子どもを持つ女性が覚せい剤に手を染めて離婚したら、夫に「復縁しろ」という人はいるのか疑問です。
加えて、清原氏の球界復帰を望む声も出てきて、なんだかなぁという感じ。
酒井法子が覚せい剤取締法違反で捕まり、とっくに執行猶予はあけていますが、地上波に完全復帰できないのは「しょうがないよね」という雰囲気もある。しかし、清原氏の場合はなんで「みんなで応援してあげよう」ってなっているのでしょうか。
まとめると、女性は「許す性、支える性」で、自分の美貌やキャリアはもちろん、夫、子どもの行動、出世や学歴などすべてに責任を持てという圧力が知らず知らずにかかっているということではないでしょうか。
それは、競争項目が多いことを意味しますから、「夫では負けたけれど、子どもでは勝った」「私は出来がよかったのに、子どもがイマイチだから負けた」という無限の競争が始まるわけです。そりゃ、マウンティングも起きるわ。
中でも極めつけが女子アナ。いつでもマウンティングしている
さて、マウンティングというと私が真っ先に思い出すのが、元フジテレビアナウンサー・木佐彩子のことであります。
元メジャーリーガー・石井一久と結婚という、人気プロ野球選手と人気女子アナという王道婚のカップルですが、その木佐が「踊る!さんま御殿!」(日本テレビ系)に出演したときに、王者の風格を見せたことがありました。
同番組には、同じく女子アナを経て、プロ野球選手と結婚した元テレ東アナウンサー・亀井京子も出演していました。しかし、亀井の夫は読売ジャイアンツに所属するものの、それほどぱっとしない感じ。亀井は夫の成功のために開運活動にはまり、パワースポットや神社巡りを欠かさないそうですが、どんどん夫の成績は悪くなっていったそうです。
亀井は妊娠中に、彼女を「女子アナだと知らなかった人」にいろいろと失礼な質問をされたことを明かしています。
「アナウンサーってなんでプロ野球選手と結婚するの?」「もっといい出会いないの?」と、一般人が天下の女子アナ様にむかって上から目線の質問は、マウンティングといっていいかもしれません。
バラエティー番組ではゲストの話は、たとえ興味がなくても楽しそうに聞くのがお約束。しかし、同じく女子アナで同じくプロ野球選手と結婚した木佐は時折薄く微笑むだけ。お願い、嘘でもいいから驚いてあげて、仕事だから。
フジテレビの人気女子アナで、夫もメジャーリーガーである木佐に、「女子アナだと知らなかった」「もっといい出会いないの?」と言ってくる人はまずいないでしょう。だから、木佐はマウンティングされるはずはなく、かつマウンティングする必要もない。勝者とはマウンティングに無縁なのではないかと思うのです。
実はマウンティングをしやすい人、されやすい人がいる
それでは、マウンティングされる人はヘボいからか、というとそうでもない気がするのです。
人間を5段階にわけるとしましょう。
5が最高値、1が最低値です。木佐のようなブランドな人は5ですが、こういう人はマウンティングをしないと思うのです。だって、みんなを敵に回しますから。
それと、1の人に対してマウンティングをしたら、それは完全ないじめで、自分が悪人呼ばわりされるので、1はマウンティングされません。
なので、マウンティングする人もされる人もは、4,3,2のどれか。すごくすぐれているわけではないけれど、劣っているワケでもないと言えるでしょう。
その4,3,2の中に「マウンティング体質」「マウンティングされ体質」の人がいると私は見ています。マウンティングはする人もされる人も、コンプレックスが強いのではないでしょうか?
マウンティングされる、というと「レベルが低いから」と思う人もいるかもしれませんが、レベルに関わらず、自分が「私はこれでいい」と思えたら、マウンティングされても気づかない、もしくは気にしないと思います。
マウンティングされやすい人は「私なんか」という、過度の謙遜をいつのまにか発しています。そして、マウンティングするほうも、何らかのコンプレックスに悩み、それをぶつけて解消したいと思っている。そこでターゲットになるのが、「私なんか」体質の人だと思います。
宮尾センセイの「櫂」の代表的決め台詞に「女をワヤにすな!(女をバカにするな)」というものがあります。もし、私ってマウンティングされやすいと思うことがあったら、自分で自分をワヤにしていないか、考えてみてもいいかもしれません。