どうしてる? 部下に「注意をしなければ」ならないとき
仕事のことで、部下にこれは言っておかないと……というとき。あなたは叱りつけるか、怒りまくるのか、どっち派ですか?
ハッとする結論から言いましょう。「その後に笑って声をかける余裕があるか」が分かれ目です。
あなたも部下も救われない
部下はあなたのことをどっちのタイプだと思っているでしょうか。自分の仕事も抱えて、部下のミスにも目を配って、なんで私がそんなことまで面倒みなくてはならないのかと、頭を抱えたくなっているかもしれませんね。
それでもやはり、怒りをぶつけているだけでは、めんどくさい先輩とだけ映ってしまうかもしれません。すると、部下の成長は、そこでストップしてしまします。
教育の基本は、可能性を伸ばすことにあると言われていますから、こんなことでは、自分も部下も救われません。
「怒る・叱る」は「恋・愛」みたい
怒ることと、叱ることは実は全く別のことなのです。怒ることは1人でも出来ますが、叱ることは相手がいないと出来ません。それは恋と愛の関係にも似ているかもしれません。恋は1人でのぼせあがることもできますが、愛には「相手」と「技術」が必要です。
例えば、会社で好きな人に自分の好きな音楽を「聴いてみてください」と渡し続けても、相手はきょとんとするだけかもしれません。
つまり、好きな人ができて、恋が始まっても、相手のこともわからずに、ただ独りよがりに感情をぶつけていたら、迷惑と思われてしまうかもしれない、ということです。
自分の感情は少し横に置いておいて、相手が走るのが好きなら自分も一緒に走ってみるとか、相手をきちんと把握して、必要なところに手が届く様に、さりげなく優しさを発揮してこそ愛情表現です。
こう聞いてみると、怒りとは恋のような感情的なもので、叱るというのは愛情表現に近いと言えると思いませんか。
笑顔で話しかけられるなら「叱る」行為
叱るには相手が必要だと言いました。あなたは「部下には自分が想像できるような失敗をして欲しくない」と願う気持ちで叱るのであって、何も部下にダメなやつだとレッテルを張るために叱るのではないでしょう。
であれば、叱るということは、それはやは愛情表現です。お互いに成長するきっかけになっているはずです。
それを、確かめるにできることがあります。きつく叱ったあと、数秒待って、笑顔で話しかけることができるかどうかです。
もし、周りの人もピリピリした雰囲気になっていても、怒りに任せて言っているわけではないと発信できます。これは重要なメッセージコントロールです。次の会話や、提案に結びやすい環境ができ上がります。
有名な山本五十六の言葉に
やってみせ、 言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、 人は動かじ。
がありますが、この言葉には続きがあります。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
この中に「叱る」って言葉が入っていませんね。
私は、この最初の人が動き始めた後に、失敗し、挫折することがあって、先輩から叱られて、次の「話し合い〜」に移っていくんだと思うんです。
もしこの動き始めた後、失敗し先輩から貰うのが怒りの雨だったら、話し合う気もなくなってしまうでしょう。
部下が可能性を伸ばせるような叱り方を心がけて、会社の繁栄の基礎としていただきたいと思います。
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