いま東京でコロナに罹患するとどうなるか。保健所はほんとうに機能していません
「私は8月4日に1回目の新型コロナワクチン職域接種を受けたばかりでした。最悪のタイミングで夫が感染してしまったんです」
まだ療養中の中、新型コロナウイルス感染体験を語ってくれた川上ヨシコさん(41歳・東京都北区)。
大手ゼネコン勤務で、同業の夫(46歳)と2人で広め1Kのお部屋に暮らしています。
家族がひとり感染したら、一家全滅は避けられない
ヨシコさんはモデルナ製ワクチン1回目の副反応がかなり強めに出ていました。強い倦怠感、寝返りが打てないレベルの筋肉痛、軽い頭痛と息苦しさ、微熱。
「その副反応からやっと7日に回復したばかりのタイミングで、夫が9日に発熱しました。発熱3日目の12日にPCR検査を受け、陽性判定。そして12日の夜に私も発熱。東京都発熱センターに連絡すると、夫と同じ病院を紹介され、事前に電話連絡をして診察を受けるよう指示がありました。13日に抗原検査を受けたところ陽性となり、PCRも陽性でしょうと医師に言わました。その日の夕方には病院から電話でPCR陽性と伝えられました」
せっかく打ったワクチンでしたが、医師には接種から日が浅すぎて免疫は獲得できている可能性はほぼないと言われました。
「でも、私は軽症中の軽症で済んだんです。偶然なのかもしれませんが、私はやっぱりワクチンを打っておいてよかったとしか思えませんでした」
そんな中、ご主人の症状はどんどん悪化していきました。
同じ部屋にいるからわかる、どんどん危なくなっていく夫の症状
「もともと夫は喘息持ちですが、通院してはいないため、基礎疾患の優先接種にはなりませんでした。PCR検査を受けた日から如実に悪化してき、常にゴホゴホとつらそうな咳をして、大量のタンを出し始めて……」
しかし、保健所からはまったく連絡が入りません。最終的に、ヨシコさんに連絡が入ったのが発症6日め、ご主人に入ったのは実に発症9日めでした。9日めとなると、人によってはもうあと1日で療養終了です。
「実は私の発症から5日めに1回連絡がありましたが、『パンクしているのでご連絡はもう少々お待ちください』という謝罪の電話でした。現実問題としてもう保健所は機能していないのだなと痛感しました。ただ、闘病の渦中にいると、もうそこに何か物申すどころではなくて」
連絡がこないことはともかく、血中酸素濃度を計るパルスオキシメーターが送られてこないことに困惑しました。
いちばん最初に「遺書」を書いた、そして諦めた
「私は熱もそれほど出ず、薬なしでも平熱と37.8℃を行き来する程度でしたが、とにかく倦怠感が強く、何かしなきゃと思った時点でもう疲れてしまいます。咳も出ず、嗅覚異常も関節痛も筋肉痛もないのですが、全く起き上がれないダルさがずっと続きます」
動ける一瞬にネットスーパーで必要なものを注文して、薬と飲み物を補充し、ゴミを片付けてと家事をしていましたが、スーパーからの荷物を部屋に運ぶだけでも猛烈に辛かったと振り返ります。
なすすべもない中、最悪ご主人が目の前で息を引き取るのではという恐怖感も刻々増していきます。また、自分も同様に感染者、急変する可能性がいくらでもあります。でも、救急車がきてくれることもなく、入院もできないことは容易に想像できました。
「こんなところで死ぬのは悔しいな、頑張りたいけれど、でも諦めるしかないのかもという気持ちでした。実は、夫は感染対策がものすごく甘く、たびたび大喧嘩をしていました。私からすれば夫は感染すべくして感染したとしか思えません。あれだけ言ったのにこうして夫はコロナに感染し、あろうことか私に移した。その瞬間が私の怒りと悲しみのピークでした。その後はもう、どちらかが死んでしまったら何をしなければならないんだろうと、冷静に考えてしまって。実は私は陽性が判明した日に『もし私が死んだらリスト』をまとめていました。お金のことはここにまとまっている、連絡してほしい人のリストはこれ、と。遺書ですね」
後編>>>いよいよ夫は死ぬのかも…覚悟を決めた瞬間に起きた奇跡
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