「こんなに純朴でまじめそうな人たちから、日本人は何かを奪ってしまったのではないか」技能実習制度が抱える闇とは
もしかしてこのままではこの国は立ちいかないのではないだろうか。その漠然とした不安に一つの答えを出してくれるのが『アインが見た、碧い空。 あなたの知らないベトナム技能実習生の物語』(近藤秀将・著 学而図書・刊)。
出版元の学而図書はいわゆる「ひとり出版社」であり、経営者であり編集者である笠原正大さんがひとつひとつの社会テーマと向き合いながら書籍を刊行しています。笠原さんがひとりの読者として本書をひもときながら解説します。
▶【前編】「安い国」になってしまった日本を支える「技能実習」という搾取システム、その不条理さの内訳は
300万貯めた「成功組」も結局は問題を抱える。その理由は
良心的な企業に配属され、まじめに働いてお金を貯め、3年から5年の実習期間を無事に終えれば、実習生は手数料のための借金を返した上で、多ければ300万円の貯金をたくわえることもできるでしょう。それが「ジャパニーズ・ドリーム」ともうたわれる、技能実習の「成功」のすがたです。
しかし、ベトナムで元・実習生たちのキャリア教育に関わることになった近藤先生は、実際に彼ら・彼女らと接するなかで、こうした「成功組」が抱えている大きな問題を感じるようになったといいます。
元・実習生たちの日本語能力は、ほとんどの場合、実習期間を通してまったく上達しません。仕事は単純労働のくりかえしですから、そこで身につけた「技能」では、ベトナムでも低賃金の仕事にしかつけないでしょう。ひとたび制度に参加した実習生は、そこで学んだ技能を本国に「移転」する義務がありますから(それが建前であったとしても、です)もう技能実習生としては来日することができません。そして、経歴をいつわって入国した者は、専門職のビザを得て日本で就業する道も閉ざされてしまいます。
実習生としてはもう二度と来日できない、というこの制度は、実質的に、一回だけ「出稼ぎ」を認めるといってもよいようなシステムとなっています。こうした面をさして、近藤先生は、この制度が実習生を使い捨ての人材として扱う「一方通行の行き止まり」だと表現しています。
実習で得られる金額は、一見すると大きなものですが、それだけで起業するには不十分です。単純労働を数年にわたってつづけてきた実習生には、起業マインドや投資の意識も育ちにくいでしょう。たとえ本国で実習と同じ仕事をしても、単なる低賃金労働にしかなりません。貯金は一生食べていける金額ではなく、かつての外国人労働者による「出稼ぎ」と同様に、そのお金をただ浪費してしまう元・技能実習生も数多くいます。
やがて、「成功組」となった元・実習生のなかに、同じような単純労働でより多くの金銭を得られる、海外への渡航をふたたび考える人々があらわれます。そして、この場合には、密航による不法就労という強硬手段をとる場合も多くなるようです。こうした元・実習生たちは、同じくらいの金額を稼ごうとするなら、単純労働でも一定の賃金を得られる国へと移動しつづけるしかない、という一種の呪縛にとらわれています。
日本で「成功」をおさめた数十万人の若者たちが帰国し、その将来が次々と行きづまっていく様子は、想像してみるとおそろしくなります。場合によっては、ベトナムという国の将来に、暗い陰を投げかけかねないような事態なのかもしれません。
こうした現象の根本として近藤先生が挙げているのが、実習制度に参加した若者たちの身に起こる、「思考の固定化」です。いわゆる「出稼ぎ」に慣れてしまった元・実習生は、起業や投資に思考を向けることなく、自らの身体を消費しながら、目の前のお金を追いつづけてしまいます。そして、ひとたび固定化されてしまった思考を変えていくことは、非常に難しいのだと近藤先生は訴えます。
「出稼ぎなんだから自己責任のはずだ」、そうはいかない隠れた理由は
ベトナムで行われる近藤先生の講義を、私も聴講したことがあります。そのとき、参加している多くの元・実習生たちが、自分の未来を何とか変えたいと願い、もがいているという印象を私は受けました。彼ら・彼女らは、自分の長所を「まじめ」で「がんばる」ところだと懸命に話します。しかし、年齢的にも20代後半以上の元・実習生たちの多くが、専門的な仕事のスキルと自分を結びつけて語れず、ただ困りはてる姿に、見ている私のほうも胸が苦しくなってどうしようもありませんでした。
数年間にわたって単純労働にまじめに従事し、やがて望み通りの金銭を手にして、その先に何が待っているのか。そんなことは考えないまま、実習生たちは年齢を重ねていきます。「出稼ぎなんだからそれでいいだろう、その先は自己責任のはずだ」と考える人も、もちろんいるでしょうし、実習生の側とて稼ぎを求めてやってくるのですから、それも間違いではないのだと思います。
しかし、講義で「まじめにがんばる」とくりかえす元・実習生たちのすがたを目の当たりにしたときから、私にはそう断言することができなくなってしまったような気がしています。まじめにがんばること、それは正しい美徳のはずです。しかし、そこにいる元・実習生たちが活躍する未来を、そのときの私にはどうしても思いえがくことができませんでした。「こんなに純朴でまじめそうな人たちから、日本人は何かを奪ってしまったのではないか」という思いが頭をよぎり、不安がこみ上げたことを、いまでもよく覚えています。
海外からの実習生は(本国に比べると)高い賃金を手にすることができ、日本側でも人手不足の解消が期待できるという技能実習制度の側面は、ある意味で「Win-Win」の関係をつくり上げていると考えられています。だからこそ、制度を改善しようとなると、悪質な受け入れ体制をあらため、若者が借金して来日する構造のゆがみを正せばよい、という議論にもなりがちです。
しかし、元・実習生たちの思考が固定化し、「出稼ぎ」のための国際移動をくりかえすケースが続発するように、成功したはずの者にも負の連鎖が生まれていくことには、なかなか目が向けられていないのが現状ではないでしょうか。
技能実習制度は、不法就労とはまったく異なり、ある意味では健全で、実習生にとっても(当たりはずれがあるとはいえ)安心して参加できるシステムです。しかし、来日する実習生たちは、二十歳前後という、多くのことを学び吸収できる年代、これからの人生で最も重視される数年分のキャリアを、日本人のいやがる単純労働だけに費やしてしまいます。また、日本の側は、「技能を母国に移し、活かす」という建前をもって、実習生たちをそのまま母国へと送り返します。
近藤先生は、この点をもって、現状の制度は不健全であり、この制度が「技能実習生たちのキャリア構築機会を搾取している」ことを問題視しています。私たちは、自分たちの生活を豊かにするために、そして自分では気づかないうちに、他国の数万人、数十万人の若者たちのキャリア、将来の可能性を奪っているのかもしれません。そして、その行いの積み重ねが、いつか報いとして日本という国にはね返ってくることを、近藤先生は強く危惧しています。
この不条理をわかりやすいラノベにまとめたところ、反響が続々と
このような現状を本にまとめて発表したい、という近藤先生からのご希望を学而図書がお受けして、このたび刊行された作品が『アインが見た、碧い空。 あなたの知らないベトナム技能実習生の物語』です。
ライトノベル形式で綴られる本作は、主人公・アインを中心に、ベトナム側の人々の暮らしや思いが生き生きと描かれ、日本人にとっても想像や共感を広げやすい内容となっています。小説の合間にはさまる解説も、オーディオコメンタリーのような語り口で、専門知識がなくとも読みやすいよう工夫されていますから、気軽に読み進めていくだけで、技能実習制度の本質と、日本の「いま」のすがたに迫ることが可能です。
余談となりますが、当初、私は近藤先生に、論文をまとめた専門書の執筆をおすすめしていました(学而図書は、もともと堅めの本のほうが得意なのです)。しかし、「専門家しか読めない本では意味がない、だれでも気軽に手にとれる本、自分のことのように共感しながら読める本にしなくてはならない」という近藤先生の強い思いに、こちらが折れ……。そこから企画が暗礁に乗り上げること十数度、こうして皆さまにご紹介できる作品として実を結んだのは、決してあきらめない近藤先生の情熱とガッツが引き寄せた、奇跡的なできごとなのかもしれません。
ここで少しだけ、物語のあらすじをご紹介します。
──夢やぶれた技能実習生が、未来を取り戻す物語。
ベトナム中部、フエ。現地の大学を卒業したアインは、金銭の魅力と日本への憧れから、技能実習生として日本で働く道を選んだ。
いわれるままに学歴を詐称し、大卒者であることを隠して日本で働くアインは、単純労働の繰り返しの果てに、ひとつの事実に気づく。彼女の将来の可能性は、もうどうしようもないほどに行き詰まってしまっていた。時を同じくして、アインの友人が実習先から失踪し、道を踏み外したことが明らかになる。
金銭と引き換えに未来を失っていく、アインたち技能実習生。しかし、実習生と深く関わり、その力になりたいと願う人々が、彼女たちの未来を取り戻すために動き始めた。
日本の経済を下支えする実習生たちと、はたして日本人はどう向き合うべきなのか。──
現実の実習生たちと同じように、人生の行き止まり感に苦しむアインは、親しくなった日本人たちの助けを得て、新たな道を模索していきます。物語の終盤には、実習生と縁を結んだ日本人の奮闘が描かれますが、その結末は、ぜひ本作をお読みになってご確認いただければと思います。
また、この作品を通して論じられるのは、「技能実習制度」の本質が、単純な善悪で語れるものではなく、一部の企業や仲介業者を槍玉にあげることで解決されるものでもない、という点です。制度の真の問題はどこにあるのか、そして、本当はだれがこの制度を維持させているのか、本書を通してご一緒にお考えいただけたなら、編集にたずさわった者としてこれほど嬉しいことはありません。
現在の円安によって日本での「出稼ぎ」の魅力が薄れただけでなく、劣悪な職場環境に配属されるケースがベトナム現地でも知られるようになり、すでにベトナムからの技能実習生は、その数を減らしはじめています。さらに、日本の技能実習より好条件で外国人労働者を招こうとする海外諸国も確実に増えつつある、というのが、この国をとりまく現状です。
私たち日本に住まう者を支えている、「技能実習制度」とは何か。日本政府が制度の見直しを検討しはじめたいま、この問題について理解するための入り口として、『アインが見た、碧い空。』は、きっとお役に立つはずです。
▶【前編】「安い国」になってしまった日本を支える「技能実習」という搾取システム、その不条理さの内訳は
(文/笠原正大・学而図書)
『アインが見た、碧い空。』近藤秀将・著 1980円(10%税込)/学而図書
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