「男尊」ヘルい日本で「働く女性がぶつかる理不尽」を越えていくには?

2022.12.20 WORK

このご時世、さすがに女性に「お茶くみ」をさせる企業は減りましたが、いっぽうで一流企業へお邪魔すれば玄関では「受付係(女性)」に出迎えられます。

受付という専門性のある接客をエキスパートである女性が担務する、そのこと自体は道理であっても、「なんで男性はいないのかな」と考える時代です。

フリー編集者の依田邦代さんは1981年入社。86年男女雇用機会均等法で「総合職」という概念が誕生するさまを含め、「働く女性」の現場を見つめてきた大先輩です。

よかれ悪しかれ、物理的入り口の部分でも「性差」を無意識に受容している社会に生きる私たちが理不尽さに立ち向かう術とは何なのか? いま感じていることを聞きました。

 

働く女性は、今も昔も毎日を「綱渡り」で生きてきている

下河辺さや子著『男尊社会を生きていく昇進不安な女子たちへ』の編集を担当した。

 

下河辺さんとはじめて会ったのは30年ほど前、主婦の友社の『エフ』という女性誌の編集部だった…らしい。と、伝聞口調になるにはわけがある。

 

その頃、私は30代半ば。1歳児と5歳児を抱える育休明けのワーママだった。副編集長業務と子育てにアップアップで、日々、大波に翻弄される小舟のよう。「今日も何とか乗り越えた」と大きなため息とともに、倒れるように毎日を終えていた。

 

編集部に契約ライターとして入ってきた、ひと回り以上年下の下河辺さんへどのような対応をしたのか記憶がない。いや、彼女のことを覚えていないのではなく、その頃の記憶があきれるほどまっ白なのだ。やらねばならないことに追われ、忙殺され、文字通り心をなくしていたのだと思う。

 

本のあとがきに「実は私の生まれて初めての上司です。取材のアポイントの取り方や原稿の書き方、データのチェックの仕方を教わりました」と私のことを書いてくれているのを読んだ時は、心臓が止まるかと思った。申し訳なさと恥ずかしさで消え入りたい気分だった。本当にちゃんと指導したのか、私!?……。

 

それから30年。私は定年退職後、フリーランスの書籍編集者となった。そして縁がつながって、再び下河辺さんと出会った。

 

社会人約35年生活の間に「女性を取り巻く環境」は激変したはずだが

日テレ系「それって!?実際どうなの課」に「できる女」として登場している「下河辺さやこ」が、かつて一緒に仕事をした仲間だったとわかったときは驚いた。そして、その成長に目を見張った。

 

下河辺さんは契約ライターの後、小学館に入社し、『Oggi』『Domani』などの女性誌で副編集長として手腕を発揮。40代半ばからは一橋大学大学院に通いMBAを取得した。現在は社内で新規ビジネスを立ち上げ、美容系YouTubeチャンネルのプロデュースなどを手掛けていた。そして、50歳を目前にプロジェクト・マネージャーという新たな局面に立った。まさに「できる女」になっていたのだ。

 

2022年4月、「女性活躍推進法」が改正され、女性管理職の増加がさらに推進されることとなった。しかし同年8月に発表されたジェンダーギャップ指数が146か国中116位だった日本。男女格差は先進7カ国中、最下位。女卑とは言わないまでも、まだまだ「男尊」が残る日本で、仕事での活躍に困難を感じる女性も多い。

 

それまで下河辺さんも女性であるが故に社会の矛盾や理不尽を度々感じ、真っ向からぶつかってキズを負ったことがあるという。女性誌の編集という専門職から、事業開発という会社全体を見渡さなければならない部署にまさにキャリアチェンジし、それまでの仕事の仕方をシフトするタイミングに立っていた。

 

一橋大学大学院でMBAを取得した下河辺さんには、日本のオーセンティックな企業の人事担当者にも知人が多い。積極的に女性管理職を増やそうとする企業が多い中、「昇進したがらない」女性たちに担当者たちが頭を抱えていることを知る。

 

「昇進したらどうしよう」と不安になったり、「昇進したけど、こんなにたいへんだとは…」と悩む女性が多いという。男性なら、昇進を素直に喜ぶ人がほとんどなのに、日本女性が昇進を「コスパが悪い」と感じる理由はどこにあるのか?

 

「女性社員たちを啓蒙してほしい」と頼まれることが増えた下河辺さん。自身も現役会社員で、管理職候補女性たちの少し先輩であることは何よりの強みだ。さらに、編集者として多くの働く若い女性読者と接することで得た知見がある。世代が抱える悩みを理解し、アドバイスするのにうってつけの人材だ。

 

信じがたいことだが、育休は92年まで「なかった」

私事で恐縮だが、下河辺さんと最初に出会ったとき、私は1年間の育休明けだった。そこから遡ること4年前の上の子の時は産後約2か月で職場復帰した。まだ育児休業制度がなかったのだ。今ではあり得ないと感じるが、産休は産前産後各8週間。復帰後の時短勤務制度ももちろんない。

 

その3年後、1992年に育児休業制度ができ、休業中の給与や社会保険手当も支給されるようになった。下河辺さんが社会人になったのは1997年。制度は改善されていたが、それでも数々の働きづらさがあったという。

 

下河辺さんは2003年に29歳で出産した。当時、20代で出産する編集者は皆無で、子どもを産んだら「女」は「お母さん」に変わるものという暗黙の認識があり、おじさんたちからは「早くもキャリアをあきらめるんだね」というムードを感じたと言う。それから20年、現在もまだ真の男女平等からはほど遠い日本だ。

 

私は下河辺さんに働く女性を応援する本を著してほしいと考えた。下河辺さんが願う、「女性がオトコのようにふるまったり、必要以上にオンナを強調することなく、自分のままで仕事ができる生きやすい社会」になるように。自身の体験や、どうやってそれを乗り越えてきたのか、妹たちへのメッセージを書いてほしいと。

 

下河辺さんは快諾してくれた。多忙な本業と並行しながら、何度も打ち合わせをし、推敲を重ね、休日返上で書き上げてくれた。「できる女」の底力を見せつけられた思いがした。途中で一度ぎっくり腰になったのは、間違いなく時間に追われるストレスが原因だったと思う。それでも締め切りをきっちり守るところはさすがだった。

 

そしてできた本が『男尊社会を生きていく昇進不安な女子たちへ』。自身の体験に加えて、様々な企業で働く女性や男性側の声もていねいに取材。多くの女性たちの共感を呼ぶ熱い内容になった。女性活躍推進に関わる男性にもぜひ読んでほしい一冊だ。

 

 

▶【後編】「既存の男社会の仕組みへの対処法」お誘いを断るときに大切なことは

 

(取材・文/フリー編集者 依田邦代)

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