もしかして50歳って「シニア0歳」なんじゃない?今から大学、むしろ超早期教育では???【連載・更年期50代のアフタヌーンエイジ日記】♯33

2023.06.25 WORK

こんにちは、オトナサローネ編集部井一です。

連載を始めたときに51歳だった私は、1年たって52歳になりました。そしてコロナ禍明けの23年初夏、懸案だった「大学生やりなおし」が一歩前進しました。

【連載・更年期50代のアフタヌーンエイジ日記・】♯33

50歳って「しにあちゃれんじ」かも!と突然気づいた

この6月初頭、東京で開催された『抗加齢学会』に参加してきました。スターのような先生方のご講演を拝聴しながら、その席で突然気づいてしまいました。

 

あれ、私たちじつはいま「こどもち●れんじ」ならぬ「しにあちゃれんじ」なのでは?

 

私たちの身体はうまいことすると100年ちょっと持つようですが、さすが抗加齢学会、この席では完全に「百寿者」の激増に伴う健康寿命の延伸の話「しか」議論していない。そのいっぽう、つい江戸期までは「50歳よりあと」の人生のデザインは存在していなかった。

 

おりしも、ライター力武亜矢さんに私がインタビューした記事『「50歳までなんてリハーサル。これからが本番です!」と言い切る新人51歳ロックシンガーの案外しんどい紆余曲折』でもほぼ同じ発言があります。50歳以降が本番ではと。

 

やだ、私もしかして時流に乗ってる?

 

いわゆるリスキリングは他人のノウハウは気にしなくていい。「リセット」もありなのではないかしら

ミュラー・リヤー錯視の実験に使うお道具

昨年「50歳にもなって」歯列矯正を始めたことでこの連載をスタートしましたが、その他にも「50歳にもなって」いくつか初めたことがありました。その1つが大学の再入学。といっても通学課程ではなく、放送大学の3年次編入です。

 

当初は漠然と公認心理士資格の取得を検討していたため、コロナ禍の21年4月に心理コースに編入しました。ですがそのあとで他に興味が移り、現在ペンディングになっています。紆余曲折はあれど、「どうしよう」と迷う段階から一歩進めてよかったことがたくさんあります。この、「やってみてからいいか悪いか決めたらいい」というのは、セカンドキャリア塾を主催する西村美奈子さんにも教えていただいたことでした。

 

『この分野がいいかな?と思って資格の勉強を始めたけれど、やってるうちにこれは違うなと感じたなら、躊躇せずにやめればいいんです。ただ、このとき「この分野ではグロースしないな」という理由だけでやめるのはもったいないなと思います。というのも、自分の武器って一つじゃ足りないんです。特定の分野の専門家ってすごくいっぱいいるから、その専門家を目指すのはとても大変なんです』(『働く女性が大切にしておいたほうがいい「意外なこと」って?お金でも資格でもなく』)

 

リスキリング的なものって「50歳までに始めないと遅い!」「セカンドキャリアを緻密に設計して始めないと!」「この資格は稼げない!」など煽りがあちこちからさんざん飛んでくるのですが、別に気にしなくていいですね。たぶんそれn=1ですよね。私の後半生を誰かがルートに乗せてくれるわけではないので、そんな緻密に進める必要はきっとない。でも、「残り時間はどんどん減っていく」これだけは事実ですから、何もせず迷う時間よりは誤試行で外れ値を具体算出するほうが合理的というわけです。

 

それはともかく、放送大学は入学試験がないうえコスパ最強。迷う前にうっかり入学しても損はない

放送大学文京キャンパス2階のカフェスペース。残念ながら学食はなく、持ち込みです。

さて、放送大学の話。ご存じの通り、主にテレビ番組を見てテストで単位を取得するのですが、卒業するとなると卒論や校舎に出向いて受ける「面接授業」も必修です。心理コースの場合「心理学実験」1~3の3つをとるのですが、コロナ禍は人数を絞っていたので春、秋、春、秋とすべて抽選に落選していました。でもコロナが明けたとたん一気に全部当選して、5月6月で3つも授業をとることになってしまいました。といっても、土日の2日間だけ、朝から夕方まで出席すれば完結するコンパクトなもの。

 

今週末はその3つめの授業を受けています。放送大学文京キャンパスは筑波大大学院と校舎を共有しているため、タイトルのような「2枚看板」の敷地に通っているというわけです。ちなみに立地は、お受験ママの9割が何かしら接触したであろう、筑波大学附属小学校のお隣です。ここで、心理学科卒の方には懐かしいであろう「ミュラー・リヤー錯視」「ストループ効果」などをぎゅっと立て続けに実験し、論文のお作法に則ってレポートをまとめる実習をしています。

 

実際にやってみると、知ってるようで知らなかったことがたくさんあることに気付きます。そもそも「知る」ってすごいことで、目に入るものの解像度が強烈に上がるんですよね。例えば学会参加中、私はずっとスクリーンに投影される図を凝視していたのですが、そこに書かれている「p<.05」を私の目はこれまで認識していなかった。でもいまは意味がわかる。「統計的有意」と書いてあるのです。

 

同時に「本来ならば知っていたはずのこと」の不足にも気づきます。たとえば私はその「統計的有意」の意味をちゃんと理解できていないので、原稿にできるように統計は基礎から勉強しないとならない。また、心理検査、たとえばWISCの実施注意点なんかも二度と習う機会がなさそうだから知っておきたい。さっき授業で標準偏差の計算式を習いましたが、放送授業ではいまひとつわからなかったことも、質問しながらだと理解できる。

 

つまり、放送大学の真髄はこの「面接授業」にあるといま猛烈に理解しているところです。働いている人たちが多いため授業そのものも「前期13回授業のエッセンスを2日で一式お伝えする」メソッドの塊。はっきりいってこれで1授業5500円なんて、実質無料と言っていいです。これ、どこからお金出てるんですか、政府ですか。ありがとう政府。

 

何も卒業を目指さなくても、ちょっとアラビア語読めておこうか、分子栄養学の基礎押さえようかなど、カルチャースクールのように受講してもよいわけですし、お話しする機会のあったシニアの皆さんは全国あちこちの校舎で授業を受けながら旅行も楽しんでいるそうです。資格取得など理由があるのでなければ卒業を急ぐのがもったいない、10年在学できますが、その間は専門家の知見を仰げるコンシェルジェがついているようなものなので。

 

とりあえず、後期は統計の面接授業を2つくらい取る予定です!!

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