セーラームーン30周年/初代月野うさぎ役・大山アンザさんが自分を探し続けた31年を振り返る
1992年講談社『なかよし』で連載が始まった『美少女戦士セーラームーン』。2022年に30周年を迎え、2022~23年にかけてさまざまな周年記念イベントが行われました。一部のイベントには、ミュージカル版で初代セーラームーン(月野うさぎ)役を努めた大山アンザさん(現ANZA)も登場。31年にわたり初代セーラームーンの看板を背負ってきた思いや悩み、そして更年期のことまでお聞きしたところ、包み隠さず話してくださいました。(聞き手・力武亜矢)
人生すべてがセーラームーンだったあの頃、そこに大山アンザはいなかった
編集部:あらためて、美少女戦士セーラームーン30周年おめでとうございます。ANZAさんはセーラームーン役を射止める前から芸能活動をしていらしたんですよね。
ANZAさん:ありがとうございます。私は、幼少期に母の勧めでモデルを始めました。中学生のとき、母にだまされて受けたオーディションがきっかけで、芸能界に入りました。母に「洋服を買ってあげるから」といって連れていかれた場所が、オーディション会場だったんです。そこで賞をもらい、事務所へ所属することになりました。正式なデビューは15歳のときに出演したNHKのドラマ『中学生日記』で、その年にセーラームーンのオーディションに合格しました。
編集部:だまされて。(笑)ANZAさんご自身は、芸能人になりたかったわけじゃないのですか?
ANZAさん:まったく。でも、私が頑張ると母が喜ぶし、お小遣いをくれるから、最初は言われるがままに続けていました。本当は、フラワーアレンジメントの学校に行きたかったのに、知らない間に堀越高校(芸能活動可の東京都の高校)へ行くことになって。高校生になってすぐ「桜っ子クラブさくら組」でアイドルデビューして、その中からセーラームーンを選ぶオーディションがあり、合格したんです。
編集部:デビューしてすぐにセーラームーン役を射止めたのはすごいですね。
ANZAさん:すごいことなんですが、とにかく無我夢中で稽古して本番を迎えたので、とんでもない大役を任されたと実感したのは、実は初演の千秋楽あたりだったんです。
千秋楽を迎えた日、「これで終わりだ」と思ったのですが、なんと翌日に冬公演と役の続投が決まりました。ただこのときは、「まだやれるんだ。もうちょっとやりたい」という心境になっていました。歌で表現することを楽しいなと感じ始めたのは、このときからです。そして5年間、382公演を務めさせていただきました。
編集部:382公演!?ほとんど一年中ですね。そのころの人生は、セーラームーン一色だったのでは?
ANZAさん:本当にそうでした。公演の合間にはファンイベントもあったので、一年中ほぼ月野うさぎで、大山アンザはいなくなっていました。
ずっと若いままのうさぎちゃん、20歳を越えた私。いつまでもこのまま演じることはできないんじゃないかな
編集部:セーラームーンを卒業するタイミングは何だったのですか?
ANZAさん:14 歳から 16 歳の月野うさぎちゃんと20歳を越えた自分との間に違和感を覚えたとき、卒業の二文字が頭をよぎりました。16歳から21歳までセーラームーンを務め、うさぎちゃんはずっと若いままなのに、自分は大人になっていく。もう自分には、うさぎちゃんのフレッシュさがない。そんなことを思い始めたんです。同時に、成人したことを機に新たなステージに立ってみたい気持ちも強くなりました。他の初代出演者も同じ気持ちだったみたいで、制作側もそれを察したことから、卒業の流れができました。
編集部:次の活動は決まっていたのですか?
ANZAさん:明確なプランは決まっていなかったですが、セーラームーン3年目くらいから、アイドルよりも歌をメインに活動したい気持ちが強くなったので、歌い手としてステージに立ち続けるイメージは持っていました。
セーラームーン役の間は、愛と正義のヒロインとして太陽みたいな輝きを演じてきましたが、私はうさぎちゃんより落ち込みやすいですし、ちょっとしたことを気にするネガティブな一面があります。でも、うさぎちゃんから「どんなにつらくても光はさすよ!諦めないで前へ進もう」という力を与えてもらいました。だからこそ、卒業後は自分自身の弱さ、苦しさ、人のダークな部分をさらけ出し、「どんなにつらくても必ず光がさすよ!」「暗闇から光を!」という表現がしたくなったんです。
ちょうどこのころ、相川七瀬さんなど格好いいロックスタイルの女性が出てきて「ロックってかっこいい!」「自分の思いを100%出せるかも!」と思い、ポップロックでインディーズレーベルからデビューして、名前も大山アンザからANZA に変えて、1年ほどライブハウスで歌っていました。でも、やっぱりどこかまだ、なんか物足りない、表現しきれていない感じがありました。
そんなとき、hide with Spread Beaver の『ピンクスパイダー』という曲を聞いて歌詞に衝撃をうけ、「ネガティブなことも言葉にして、そこから光を目指していくストーリーを描くアーティストになりたい」と思いました。幼いころにハーフが原因でいじめられた苦い経験なんかも洗いざらい吐き出して、それも人間の一部だと伝えたい。そして、バンドを組んで、もっとハードでダークな世界観で、もがき苦しみながらでも光を目指していく姿を見せていきたいと。
満場、数千人の観客からの拍手から一転、ロックの私にはお客さんがたった3人。それでも希望しかなかった
編集部:バンドを結成するにあたり、所属事務所を辞められたそうですね。
ANZAさん:ハードでダークなバンドなんて、売れない感じしかないですよね。当然、事務所とは折り合いがつかず、辞めることになりました。そして、念願のバンドを結成しました。バンドのメンバーは、これまで私が聴いてこなかったヘヴィなロックをたくさん教えてくれました。それらの音楽は、幼いときに母が聴いていたロックと似ていて、そういえば幼いころ、頭ぶんぶん振ってノリノリで踊っていたことを思い出しました。そして、2000年にHEAD PHONES PRESIDENT(以下、HPP)というバンド名でインディーズレーベルからデビューして、インディーズ週間チャート1位になりました。
編集部:事務所を辞めて一からやり直すのは不安じゃなかったですか?
ANZAさん:不安はなかったかな。本当にやりたいことを全うしたい気持ちが強かったので、希望しかありませんでした。とにかく突き進む性格ですし。ファンが減るのも覚悟していました。実際、それまでは数千人収容のホールに出演していたのに、バンドデビュー時はお客さんが3~4人なんてこともありました。でも、自分の意志で始めたから、不安より喜びのほうが大きかったです。
世界を守るヒロインが悪役に変わってしまった?「怖い」とファンが離れ…
編集部:セーラームーンの大山アンザから、真逆といえるヘヴィロックのANZAに変わったときの、ファンの反応は?
ANZAさん:セーラームーンの大山アンザを知っている人からすると、世界を守るヒロインが悪役に変わってしまった印象だったみたいです。HPPの初期は、感情のまま泣き叫ぶような楽曲が多かったので、「何があったの!?」「怖い」と思われて、離れていったファンもいました。続けて応援してくださるファンも、ANZAのソロ活動には来てくださるけれどバンドは怖いから見ない、という人もいらして。それだけ、ギャップがすごかったんだと思います。それでもすべてを受け入れて今日まで応援し続けてくださるファンの皆さまには、本当に、心より感謝しています。
編集部:ある意味、ANZAさんのネガティブな部分の表現がちゃんと伝わったともいえますね。
ANZAさん:そう言ってもらえると救われます。私としては、セーラームーンを経験したからこそ本当に自分がやりたいことを見つけられた思いがあって、セーラームーン時代の世界を守る元気な姿も、HPPで表現しているダークでネガティブな姿も、どちらも私なんです。
でも、ファンの方から「バンドをやめてミュージカルだけやって欲しい」というお手紙をもらったこともあって。私の活動に思いを寄せてくださるからこそのメッセージなのでうれしいですが、心のどこかで「見せ方がポップなミュージカルかハードなロックバンドかの違いだけで、どちらも表現している私は変わらず私のままなのに」というもどかしさがありました。
「ファンに伝わらない」のではない。ジャンルを気にしてこだわっていたのは、実は私の側だった
編集部:それでもバンド活動を続けて、今年で23年目になられます。どこかで「この道で大丈夫」だと思わなければ、23年も続けられないと思うんです。覚悟を決めたタイミングはありますか?
ANZAさん:海外のロックフェスに出演したときが、タイミングだったと思います。海外のロックフェスでは、セーラームーンなどのコスプレをした人と全身タトゥーのロックファンが、一緒になって同じ音楽を楽しみます。この風景を見て、日本でもこの風景を作りたい、ロックとミュージカルを融合した舞台をやりたいと思うようになりました。
それと同時に、気付いたことがありました。私はずっと、ファンが勝手にジャンル分けをすると思っていましたが、ジャンル分けをしていたのは、むしろ私のほうでした。私がこだわっているから、お客さんもそうなる。私たちアーティストがその垣根を壊していかなきゃいけないんですよね。そうしないと、まだ見ぬエンターテインメントの世界は見せてあげられない。それに気付いてから、女優のANZA、ミュージカルのANZA、ポップスのANZA、メタルのANZA、全部まとめて表現しようと思いました。
編集部:そして、2016年に念願の自主制作舞台『STAND IN THE WORLD』が実現したんですね。
ANZAさん:はい。制作側になってみてあらためて、自分はいろんな人に支えられて表現させてもらっていると、強く感じました。それとともに、『STAND IN THE WORLD』は初めて自分で考案して作った舞台だったので、「もっとこうすればよかった」「これも入れればよかった」などの思い残しがでてしまいました。それで2021年に、二作目の舞台『COLORS』を作ったんです。でも、『COLORS』のときの私はすでに40代後半。それまでと同じように、体調のことなんか考えず突っ走ることはできなくなっていました。
ここまで、ANZAさんがミュージカルと音楽の2つのシーンで「対極ともいえる表現」を手がけ、やがて新しい表現を見出していく経緯をうかがいました。しかし、やっと自分の表現にたどり着き始めたANZAさんは、「40代ならではの不調」に見舞われます。後編ではその事情と克服について伺います。
つづき>>>まさか、私が更年期障害に悩まされるだなんて考えもしなかった。最初に気付いた不調はコレでした
ANZA
ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」の主役を5年間好演し、「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役に抜擢され3年間活躍、「ミス・サイゴン」「GIFT」「AIDA」「シェルブールの雨傘」等多数好演。音楽活動ではアニメ「カードキャプターさくら」主題歌「扉をあけて」や故加藤和彦氏/小原礼氏/土屋昌巳氏/屋敷豪太氏らと「Vitamin-Qfeaturing ANZA」で活躍。また「LOUD PARK 」「OZZFEST JAPAN」などにも出演。日本を代表するラウド系のバンドHEAD PHONES PRESIDENT(ヘッドフォン プレジデント)のヴォーカルとして国内外で活躍中。
ANZA イベント出演スケジュール
■HEAD PHONES PRESIDENT ワンマンLive
【The Beginning and the End】
2023年9月15日(金)
会場 : 初台 DOORS
開場:19:00 / 開演: 19:30
チケット代 : 前売5,000円 / 当日5,500円 (+1ドリンク代別)
出演 : HEAD PHONES PRESIDENT
■HEAD PHONES PRESIDENT 仙台公演
【WILD FRONTIER Presents SOUND OF DEATH vol.100 anniversary Special Day1】
2023年9月30日(土)
会場:仙台MACANA
開場: 15:30
開演:16:00
チケット代:前売り 4,000円 / 当日 4,500円
出演:HEAD PHONES PRESIDENT/Mardelas/ARESZ/MURDER HEAD/WILD FRONTIER
■ANZA∞小坂明子 【未来が過去になる日】(チケットSOLD OUT 有料配信あり)
2023年9月24日(日)
会場:目黒 Blues Alley Japan
出演 :小坂明子 / ANZA
ゲスト: 木村早苗 / 斉藤レイ / 朝見優香 / 高木ナオ(2部のみ)
ミュージシャン 森藤晶司(KB / マニュピレーター)
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