吉田兼好『徒然草』から読み解く、本当に有益な「時間の使い方」。毒舌歌人に学ぶ「型にはまらない」自由な人生とは?
求めるものは文化的な人間関係と、自由なポジション。
出家した兼好ですが、寺に入って厳しい仏道修行をすることはありませんでした。出家したといっても、厳しい修行で自由がなければ宮仕えと同じです。
その後、比叡山横川などの草庵に住み、和歌などを通じて当代一流の文化人たちと交流を結んでいました。「世捨て人」ながら、いつでも京都の町なかに行ける場所で暮らしていたのです。兼好は、「お金や出世のためにがんばるのはまっぴらだが、人間関係は維持したい」と考えていたのでしょう。自分の得意な文学の才能を活かし、文化的な生活をすることこそが願いであり、官吏とか僧侶とかいう既存の枠組みに振り回されない生き方を大切にしようとしたのです。
出家の前後には2度にわたり鎌倉に行き、しばらく暮らしていました。このとき、のちに鎌倉幕府15代執権となる金沢貞顕の知遇を得ていました。京都では、権大納言まで出世する二条為世に和歌を学び、「為世門下の四天王」に数えられます。南北朝時代に入ると、足利尊氏・直義兄弟や尊氏の執事・高師直とも交流がありました。自らは自由を求めつつも、交友関係は意外に豪華です。
文化的な人間関係と自由なポジションこそ、兼好が求めた生き方だったのです。
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