「ワイナリーを作ることは決めたけど、誰もワインの作り方を知らなかった」45歳が2年連続三つ星に輝くまで

2024.02.27 WORK

ワイン好きがこぞって訪れる、東京・御徒町「葡蔵人~BookRoad~」。わずか10坪の小さな都市型ワイナリーながら、都内で唯一、日本ワイナリーアワードの三つ星を2年連続で獲得しました。

ワイン醸造の責任を担うのは須合美智子さん。彼女は45歳の時、飲食店のパート社員から、ワイン醸造家に転身しました。

「やったことがないことを、やらないうちから諦めるのはもったいないじゃない」と、はにかみながら語る須合さん。「普通の主婦」だった須合さんが、新しい道を歩みだしたきっかけについて語ってもらいました。

前編『「本当に普通の主婦だったんですけどね、ご縁があって」45歳でワイン醸造家に転身した女性の波乱万丈 』に続く後編です。

 

アポ無しでワイナリーに修行申し込み

マルサン葡萄酒のオーナーであるワインの師匠とともに

飲食店のワイン醸造責任者に名乗りを上げた須合さんは、社長にも歓迎され、すぐ正社員になることに。

 

そうしてワインを作ることになったのはいいものの、社内を見渡すと、誰一人としてワイン醸造の仕方を知りませんでした。はじめの一歩の踏み出し方がわからなかった須合さんは、手始めにワイナリーが数多く掲載されている本を手に取り、そこで、山梨県の勝沼に数多くのワイナリーがあることを知ります。ヒントを得ようと、須合さんは勝沼に足を運びました。

 

勝沼に到着した時、お腹が空いていたこともあり、アポ無しでカフェが併設されているワイナリーに飛び込みました。

 

「ワイナリーの方とは当然初対面。しかし、どうしてもワイン作りのヒントを掴みたい私は『来年東京でワイナリーを作ろうと思っていまして…』と、大胆にもいきなり相談を持ちかけました(笑)。オーナーさんが、もうひとつのワイナリー・マルサン葡萄酒さんをご紹介くださって、飛び込みで見学をさせていただきました」

 

この翌年、2017年にはワイナリーのオープンが決まっていることを話すと、マルサン葡萄酒のオーナーは親身に話を聞いてくれました。うまく行かなかった時はどうするつもりなのか、勝沼のように助けてくれる同業者は東京にいるのかなど、質問の端々から真剣に向き合ってくれていることが伝わってきます。

 

いきなり現れた東京からの来訪者にも、真剣にそして丁寧に接してくれる姿に、須合さんは感激しました。

 

「マルサン葡萄酒さんでテイスティングした、『アジロン』というブドウを使ったワインがとても美味しかったんです。甘い香りがするのに飲み口がとてもドライで、直感で『大好きな味だ!』と思いました。素敵な人柄とワインに惚れ、マルサン葡萄酒さんで修行させていただけないかと申し込みました」

 

オープンまでの期限は約1年 修行と準備の日々

そこからは、怒涛の修行の日々が始まりました。自宅と勤務先のある東京から、週に2〜3度、多い時は週4日勝沼に通い、ワイン造りのいろはを学んだと言います。

 

最初の障壁になったのは、”移動”。早朝からの勤務に間に合うよう車移動をしようと考えましたが、当時、須合さんはペーパードライバー。久しぶりの本格的な運転に向けて、近所の道で練習をはじめました。スムーズに行けば1時間半ほどで到着する道のりを、最初は2時間半掛けて、恐る恐る通ったといいます。

 

朝4時に起床し、車で緊張感のある移動をしたあとは、いよいよ修行の時間。ぶどうの収穫から始まり、選別、除梗や発酵など、ワイン造りは、力仕事と水仕事の連続です。収穫の日は、2000キロのブドウをトラックに積み下ろすことも…。

 

さらに、ワインはとても繊細。一つの工程で失敗すると、その後の修正は困難を極めます。すべての工程をオープンまでの短い期間で完璧にマスターするため、スマホで工程を録画しながら、ペンでメモをとり、必死に食らいつきました。

 

「タンクに残っているワインの残量を計算する式があるのですが、当時どうしてもそれが分からなくて。その式を理解するためだけに、ノートをまるまる1冊使いました」

 

勝沼での修業以外の日程は、ワイナリーをオープンさせるための物件探しや、設備設計、ボトルやラベルづくりと発注、スタッフの確保など、並行して店舗のオープン準備を進める必要もありました。一言に「準備」と言っても、今までいちパートとして働いてきた須合さんにとっては、すべてが初めての経験。開店を1年後に控えた準備の期間は、「どうやってオープンにこぎつけたのかあまり記憶がない」しっちゃかめっちゃかな日々だったと須合さんは語ります。

 

「ぎりぎり眠る時間が確保できるかな…というくらいの綱渡りな毎日で、大変なこともありましたよ。でも自分がやりたいと言い出した仕事だし、信頼して任せてもらえることに対して『体が辛いからできません』『わからないからできません』なんて言えないじゃないですか」

 

朝は御徒町駅の前に立って開店告知のビラを配り、一日中修行と開店準備に追われる日々を超えて、ようやくこぎつけた、2017年11月の開所式。初めて販売したワインは、須合さんが勝沼で飲んで惚れ込んだ「アジロン」と「デラウエア」、「北天の雫」の3種類でした。

 

初めて自分が作り、販売にまでこぎつけたワインの味。さぞかし忘れられないものになったのではないかと思いましたが、なんと「あんまり感慨もなくて…」と須合さんは語ります。

 

「なんとか、どうにか、お店を開けるんだという気持ちだけ持っていた毎日だったので、ワインも『できた』というくらいの気持ちでした。無我夢中の毎日を過ごし、オープンと販売にこぎつけたときの感想は『ホッとした…』の一言に尽きました」

 

唯一の気がかりは子供たちの”食事”

「ほぼ記憶がない」ほどハードだった日々をこともなげに笑いとばす須合さんだが、たったひとつ気がかりがありました。それは、当時専門学校生と高校生だった子どもたちの”食事”のこと。

 

「家業を手伝っていた頃から、『洗濯や掃除は二の次でもいいけれど、ご飯だけは必ず私が準備しよう』というポリシーを持っていたんです。でもこの頃からは本当に忙しくなり、いつのまにかご飯を作る余裕がなくなってしまって…。夫にお願いしてご飯の準備をしてもらうようになりました」

 

オープン当時、学生だった子どもたちは、立派に独り立ちして家を出ていきました。成人しても「やっぱり、子供はかわいい」と須合さんは目尻を下げます。

 

「今、一緒にご飯を食べるのは数ヶ月に一度。『お母さんは忙しすぎて、放っておいたら死んじゃうんじゃないか』と私の体を気遣って、時々、連絡をくれます。本当に優しい子たちなんですよ」

 

ワイナリーアワードで2年連続三つ星獲得

”共に働く人”と”責任感”をモチベーションに、2017年に「葡蔵人〜Book Road〜」をオープンさせた須合さん。須合さんの「丁寧な味がする」ワインは評判を呼び、全国の審査員が品評する日本ワイナリーアワードで、2年連続三つ星を獲得しています。

 

葡蔵人~BookRoad~に併設されたレストランは、瞬く間に予約が埋まる人気店に。須合さんの作ったワインは、全国各地のレストランでも提供されています。引く手あまたがゆえ、今でも仕込みが最盛になる時期は、寝る時間以外、ワインにかかりっきりになるのだそう。

 

そんな慌ただしい日々を乗り越える原動力は、ワインを飲んだ人の声なんだとか。

 

「私が作ったワインを飲んで『おいしい!』と言ってくれる方の姿を見たり、友人への手土産にしたらその日の会が盛り上がったという話を聞いたときに、『醸造をやっててよかったな』としみじみ思いますね。私の作ったワインが”楽しいことの種”になっているのが嬉しいんです」

 

45歳で新しいチャレンジを始めた須合さんは、53歳になる今も、次のキャリアを描き続けています。

 

「まだまだ先になると思いますが、いつか醸造を引退することがあれば、八王子にあるブドウ畑のお手伝いをするのもいいかなと考えています。この会社の人とであれば、どんなところでも楽しく働ける気がするんですよね」

 

須合さんの将来の夢は、イタリアやフランスで自分のワインを飲み、「それどこのワイン?」と聞いてきた人に「これ、私が作ったワインなのよ!」と胸を張って答えることです。年齢にとらわれず、「やりたい」と思った気持ちにしたがって突き進む経験が、自信になり、須合さんを輝かせているのでしょう。

 

須合美智子さんが醸造を行うワイナリー

葡蔵人~BookRoad~

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