発達障害児と暮らす「健常児のきょうだい」はスルー力が抜群! ~次女 編~【連載_東京こども4人育児日記 #7】
くっつき過ぎず離れ過ぎず、心地の良い関係
長女と次女の年齢差は6歳。長女がADHDと強迫性障害を抱え、生きづらさを感じ始めたのは小学校1年生の頃に、次女は産まれました。
「普通の生活を送ること」が目標だったこの頃は、言わずもがなカオスな日々。0歳児からそんな光景を目の当たりにしているので、ちょっとやそっとのことでは動じないのが次女です。
通院や療育を通して今でこそ落ち着いた長女ですが、一時期は自分の思い通りにならないことがあると、わざと廊下でふて寝をしたり、周りに当たり散らしていた長女ちゃん。
そんな時でも次女はおかまいなし! ふて寝する長女の上をのしのしと踏みつけて進んでいたり、長女の強引な命令も(これはきょうだいあるある?)ぬるっとかわしていました。
かと言って、ふたりの仲が悪いかと言ったらそうではなくて。
あまりにもマイペースでスルー力が強い次女を、どうやって手なずけようか、あの手この手をつかって妹をおびき出そうとしている長女ちゃんもかわいいんです。
「お菓子あげるよ~。スライムもつくってあげるよ~」
「……スライムはキラキラがはいってるやつだよ?」
と、交渉が始まり、もうそこから遊びが始まることもあります。適度な距離を保ちつつ、いい塩梅の仲良しさんなんです。
‟悲劇のヒロインになりがちママ”は、次女のスルー力で現実に舞い戻る
かくいう私も、次女がもつこのスルー力に幾度も助けられたことがあります。
やたら「死」を意識していた長女の影響をモロにくらっていた私は、毎日が鬱々状態。
長女の口癖『私なんていない方がいいんでしょ!』が、部屋の壁から家具、私にまで呪いのようにまとわりついて、耳に入ったら最後。一生その呪いから離れることができないような……そんな感覚がしていました。
やっぱり今日も一日うまくいかなかった。きっと明日もだめだろうし、これからもずっと底が見えない谷に転がり落ちていくように、毎日だめな時間を過ごして年をとっていくんだろうな。
そんな気持ちからつい口に出してしまった言葉がこれ。
「もう死んじゃいたいよ……」とポツリ。
次女が心配そうな目をしてこっちを見てくる。
「ごめんね。もうママ疲れちゃったんだ」
「ママ……」
きっと「やめて、死なないで」って言ってくれるんだろうな。次女ちゃんまだ小さいもの、悲しくなるよね。情けないママでごめんね…なんて想いを巡らせていたところ……
「包丁もってきてあげようか?」
……WHAT?ホウチョウモッテキテアゲヨウカ?まさかの自殺ほう助!!!
「じ、次女ちゃ~ん! そこは“ママ死なないで”じゃないの!?」
「そうなの? でも、ママ死にたいって言うからさぁ」
そりゃあ言ったけどさぁ……もごもご。
結局、私も長女と同じで“かまってちゃん”なのです。でも、周りの人達がこの”かまってシーン”にひとつずつていねいに対応していたら大変。やってられなくなっちゃう。
大人の私が長女に同じ対応したら問題だけど、幼児の次女が大人の私にやる分には、この対応は良き。おもしろかったから、ちょっと笑っちゃったし(汗)。
悲劇のヒロインのままでは、いつまでたっても好転しない。次女のぬるっとしたスルー力で一気に現実に戻った瞬間でした。
私が地獄絵図だと思っているこの環境も、ココで育っている子ども達にとっては普通のこと。家庭の中でたくさん揉まれてモミクチャになって、社会に出ても対応できるような生きる術が身につけられていたら……わたしもちょっぴり救われます。
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