平安時代の庶民が「できなかった」ために苦汁をなめたことって?「現代でも似たようなことがまだ起きてる」

2024.04.03 LIFE

*TOP画像/まひろ(吉高由里子)と乙丸(矢部太郎) 大河ドラマ「光る君へ」13回(3月31日放送)より(C)NHK

 

紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第13話が3月31日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

 

本放送ではまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)が自らの使命を果たすため、それぞれの場所で動き出します。道長は民の声に耳を傾けるようにと議で意見を述べ、まひろは民に文字を教え始めます。

 

人権以前の時代だから…平安時代は貴族も民もキケンがいっぱい

『光る君へ』ファンの皆様であればすでにお気付きのように、“平安”時代は文字通りおだやかに暮らせる時代では決してありませんでした。

 

上流貴族においては衣食住が保証されているものの、勢力争いの当事者になったり、あるいは勢力争いに不本意にも巻き込まれたりすることもありました。

 

誰を信じてよいのか分からず、親に対してさえも自分は愛情を注がれているのか、それとも“勢力拡大の駒”にすぎないのかといった思いを抱かずにはいられない…。

 

庶民については貴族社会のような足の引っ張り合いや子どもを勢力拡大の駒にするようなことはなかったものの、キケンだらけの中で暮らしていました。そもそも当時は庶民の人権はないがしろにされていましたし、住まいや食事も貧相なものであり、誰もそれらを問題にはしませんでした。

 

当時、奴婢(ぬひ)といわれる奴隷身分の人身売買が全国的に行われていました。奴婢の子どもは親と同じく売買の対象として扱われます。平安時代後期には人商人や売買仲人などによる人間の売買も盛んであったといわれています。禁令があったものの、それでも人買いは横行していたのです。

 

また、他人の田の稲を奪う人や屋敷に忍び込む盗人もいました。高利子貸しや不正な取り立てもすでに存在していたことは記録にも明らかです。

 

罪を犯した者は罪状によっては獄に入れられるなど刑罰の対象となります。しかし、有力者の口利きによって見逃されるケースもあるなど、犯罪への対応はフェアではありませんでした。

 

庶民は数少ない権力者が統治する社会の周縁で暮らし、人権の対象外とされ、庶民間でも相手の暮らしを脅かす行為におよぶことさえあったのです。

 

おどろおどろしい平安時代…貴族の屋敷も宮中も…庶民が住まう区画にも、心穏やかに安心して暮らせる場所はあったのでしょうか。

 

まひろが自分に課した使命は「民に文字を教えること」。なぜそんなことを?

まひろが属した社会は前述のように人権意識が低く、不正がまかり通ってしまうような社会です。

 

本放送では、まひろは子どもを売ったことにされてしまった母親に市で出くわします。

 

まひろ(吉高由里子)、さわ(野村麻純)、乙丸(矢部太郎) 大河ドラマ「光る君へ」13回(3月31日放送)より(C)NHK

 

「この子たちを売った覚えはない。返してください」

「ここに証文がある」

「これは染物師のもとに預けるという証文ではないのですか?」

「フッ…ここには 1人 布1反で売ると書いてある」

 

このやりとりを目にしたまひろは「文字さえ読めたら あんなことにはならなかったのに…」と思い、民に文字を教えることを決めまます。

 

まひろは乙丸(矢部太郎)とともに市で文字の講義を行います。彼らのもとに誰も集まらない中で、一人の少女・たね(竹澤咲子)が二人のもとを訪れ、「あ」の文字を一緒に書いてみることに。

 

まひろ(吉高由里子、)たね(竹澤咲子) 大河ドラマ「光る君へ」13回(3月31日放送)より(C)NHK

 

「あ」の文字を書くたねはイキイキとした表情をしています。この少女に何か希望を感じるのは筆者だけではないはず。

 

民のリテラシー(読み書き能力)の向上は世をよりよくするために大切なことです。フランス革命において民が世の中の歪に気付き、“誰もが自由と愛を享受できる社会”を実現したいという思いに至ったのも啓蒙思想的な読み物の流布、つまりある程度の識字率の高さも関係しています。

 

また、前述の母親のように騙されないためには、リテラシーはもちろん、社会や法についてある程度精通している必要があります。

 

学問は金銭や出世とは直接的にむずび付かないかもしれない…。しかし、個人が一人の人間として幸せになるためには、あるいは生きる尊厳を得るには不可欠なのです。

 

「●●の娘」と呼ばれるのが一般的だった時代、紫式部が「自分の名前」を残せたたったひとつの理由

藤原為時がそうであるように平安時代は“学問に秀でている=出世”ではないものの、本作では学問の重要性が一貫して説かれています。

 

まひろは「論語も荀子も墨子も人の道を説いておられますのに」(4話)、「男であったなら 勉学にすこぶる励んで 内裏に上がり 世を正します」(9話)と述べています。これらの台詞からも学問が生きる道しるべになり、かつ立身出世にも通じるものとされていることが分かります。

 

『源氏物語』が宮中の男性からも好まれ、高く評価されたのは、作者(紫式部)が学識ゆたかであることが読み手にひしひしと伝わる内容であったから。もしも、紫式部に教養漢文の知識がなければ、女や子ども向けの“作り物語”として扱われるにすぎなかったでしょう。

 

紫式部が間接的にではあるものの政に関わり(※)、「為時の娘」「宣孝の女」ではなく、「紫式部」という独立した存在として現代において伝わっているのも、彼女が勉強熱心、学があったためです。人が独立した存在になるためには学問が必要といえます。

 

現代社会では公教育が充実しており、識字率は高いものの、学問が重んじられているとはいいがたいでしょう。まひろのように書物から先人の教えを学びとることの重要性に気付かず、過去の出来事などを参考にして自分で考えることを怠っている傾向にあります。私たちが属する社会をよりよくするためには、国民が学問にすこぶる励み、物事を知り、先人から人の道を学ぶことが要なのかも…。

 

※道長は一条天皇に『源氏物語』の豪華本をお土産に渡したり、紫式部をサロンに参加させたりすることで、この天皇の関心を自分や娘に向けさせようとしたと言われている。道長が飛躍的に出世できたのは紫式部の存在があったからといっても過言ではない。研究者によって紫式部は愛人なのか、サポーターなのか意見が分かれるところだ。

 

つづき>>>平安貴族の「めちゃモテ姫」に必要だった意外な「素養」とは?「現代人でよかった、私にはムリだわ」

 

参考文献

・繁田信一 『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文藝春秋 2020年

・小和田哲男『鬼滅の日本史』宝島社 2020年

 

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