自信満々で企画した新規事業を「でもね、お金持ちは自死を選ばないんだよ」と笑われた起業家が「悟ったこと」
圧倒的なパッションで幾多の試練や挫折を乗り越え、株式会社真面目は今期で12期目を迎えます。そして、平川アズサさんは今、新たな挑戦に臨んでいます。ローカルディスティネーションホテル事業への新規参入です。この事業は、単なる宿泊施設を超え、ホテルで過ごすこと自体を目的にし、訪れる人々に体験価値を提供することを目指しています。今回は起業家平川アズサさんの情熱あふれるストーリーをご紹介します。
前編『2度の流産を経て「涙も枯れ果てた」女性経営者が思い知る「社会貢献は自分の都合では決してできない」意外な事実』に続く後編です。
2度の流産を経て、出産、子育て。「想いだけではどうにもならないことある」
アズサさんは、会社を立ち上げて4年目の33歳で結婚しました。結婚後も変わらず好きなだけ仕事に打ち込む日々だったと言います。
「子どもはいずれ欲しいとは思っていたものの、夫も私もいつか自然に授かるだろうと考えていました」
しかし、アズサさんはその後、2度の流産を経験します。
「2度とも早期流産でした。1回目は35歳の時、2回目は37歳の時です。1回目のときは、検診で『心拍が確認できませんね』と流産を告げられたのですが、そのまま会社に戻って、感情を押し殺して納品前の映像の最終チェックをしました。メンバーには『今日はもうこれで先に帰るね』とだけ言って、帰宅後、夫に電話で流産を報告し号泣。ひと晩泣き明かして、でも翌日からはいつも通りに出社しました」
2度目の流産をきっかけに、夫婦で体外受精をすることを決意し、アズサさんは39歳で女の子を授かりました。
「出産の翌日もパソコンに向かって見積を作っていました。そんな感じで、子どもを産んでも仕事脳のままだからなのか、母乳が全然出なくて。これはちょっと仕事から離れないとダメだなと思い仕事を休んだら、母乳が出るようになりました」
2度の流産、そして育児を通して、アズサさんは初めて「自分の意志や想いだけではどうにもならないこともある」と知ったと言います。
「結婚しても、妊娠しても、流産した直後でさえも、私は変わらず仕事に打ち込んできました。でも、子どもを産み育てたこの2年間は、全てが自分の思うようには進みませんでした。体力には自信があって、仕事が大好きな私が、産後1〜2ヵ月、全く何もしたくないと思ったのです。こんなに辛い体でどうやって社会復帰するんだろう……と考えたときに、妊娠後期から調べていた『産後ケア施設』の必要性を実感しました」
「これで社会課題を解決できる!」自信満々で企画した新規事業の盲点
産後ケア施設は、出産直後の女性の身体的な回復と心理面のケアをおこない、育児をサポートする施設です。しかし、都心にはその数はまだ少なく、アズサさんは自身の産褥期の経験から、「都心に産後ケア施設を作り、女性の社会復帰を応援したい」と思うようになります。
「想いだけで映画を制作して上映したときのように、強い気持ちが企画を前に推し進めると思いました。『産後の女性が早く社会復帰できるような場所を都心に作りたいです。都心でたくさんチェーン展開しているホテルさんと協業して事業展開したいです』とプレゼンすると、ホテル側も、『すごくいいですね。社内ではそんなアイデアは出たことないです。ぜひぜひ』と乗り気になってくれて。この調子で、もっとこの事業に社会的意義を持たせよう、価値をつけよう、と思ったときに、産後鬱という社会課題を解決できるのでは?と思いついたのです」
「この事業が軌道に乗れば、産後鬱で自ら命を絶つ人を救えるはず」と考え、仕事でつながりのあった日本産婦人科学会の方にも意気揚々と提案をしに行ったアズサさんですが、自分の考えの甘さに気付かされ、計画は頓挫してしまいます。
「『すごく良いことをやろうとしているんです』と得意げに語って、相手も『素敵な取り組みだね』と頷きながら聞いてくれました。しかし最後に、『でもね、お金持ちは自死を選ばないんだよ。自殺をする人の世帯年収はだいたいこの辺が圧倒的に多いから、1泊5万も10万もするような高級な産後ケア施設を作っても、あなたが救いたいと思う人たちは救えないんじゃない』と言われたのです。私はいったい何を見ていたんだろう……簡単に社会課題を解決できると思っていた自分の浅はかさを恥じました」
地元岩手県の活性化を願って。ローカルディスティネーションホテル事業参入への想い
その後、アズサさんは、社会課題を解決する取り組みと、収益につながる事業は別軸で考えるようになりました。
「もちろん、産後女性の社会復帰を応援したい気持ちに変わりはありません。ただそれを直接事業にするのではなく、ちゃんと収益になる事業を別で考えて、生み出した利益で産後ケア施設を実現しようと方向転換したのです」
そこでアズサさんが乗り出した新規事業が、ローカルディスティネーションホテル事業。産後ケア施設を運営する企業が母体としている事業を調べると、宿泊業が多かったことがヒントになったそうです。その第一の拠点として岩手県を選択しました。
アズサさんは、地方出身として、以前から地方の活性化や人口増加施策に強い興味がありながら、同時に事業化の難しさも認識していました。それでも、自分のルーツである岩手での事業を通じて地域活性化に貢献したいという思いが勝り、「岩手県でやろうと決めた」と言います。
「岩手県には、日本初の全寮制インターナショナルスクールがあります。海外の学生も多くいますが、岩手県には英語が通じる宿泊施設はあまり多くありません。そこで、海外の富裕層向けの宿泊施設を作ろうと思いました。特に、全寮制のインターナショナルスクールでは、親子で過ごす時間が限られています。『その貴重な時間を最大限素敵なものにする体験を提供したい』それが、私たちがローカルディスティネーションホテル事業に乗り出した原点となる想いです」
ただの宿泊施設を超える、共感を呼び起こすブランドをつくることを目指すというアズサさんは、日本式のおもてなしをブランド化し、5年後10年後にはアジアにも展開していきたいと今後の計画を語ってくれました。
「今の時代は、共感経済と言われ、共感しないものへの投資は行われにくいと感じています。そのため、『何をするのか』『誰がするのか』『なぜするのか』が極めて重要です。私が縁もゆかりもない土地で事業を始めても、パッションや熱量を持つことは難しいし、共感も得られないでしょう。母親でもある私が、地元岩手県で、『親子が共に滞在でき、価値ある時間を過ごせる場所を提供したい』と強く思う気持ちが、この事業を推進する原動力になっています」
「やりたい」という想いだけで突き進んだ20代。2度の流産と出産を経て、想いだけでは叶わないことを学んだ30代。そして、41歳の時には、想いがあっても簡単に社会を変えることはできないと、無力さを感じました。それでも、アズサさんは「想い」の持つ力を信じています。いつも、自分を突き動かし、周囲を動かしてきたのは、心の内側から湧き出る強い「想い」だから。
つづき>>>>2度の流産を経て「涙も枯れ果てた」女性経営者が思い知る「社会貢献は自分の都合では決してできない」意外な事実』に続く後編です。