平安時代も令和のSNSと一緒⁉ キラキラした「映える部分だけ見せる派」と、リアルな自分として「闇もさらけ出す派」がいた【NHK大河『光る君へ』#30】
まひろが書いた作品は四条宮の姫たちから好評。才能開花は間近?
先週の放送ではききょう(=清少納言・ファーストサマーウイカ)が『枕草子』を完成させ、本放送ではまひろ(吉高由里子)の物語作家としての才能が少し開花しました。また、妻からまひろの書く物語のおもしろさを聞いていた公任(町田啓太)は、帝が気に入るほどの面白い書物を書く者がどこにいるのかとぼやく道長(柄本佑)にまひろの才能を伝えるシーンもありました。視聴者の間では『源氏物語』創作も間近ではないかと期待の声が挙がっています。
ききょうが執筆した『枕草子』はあかね(泉里香)がきっかけとなり、敏子(柳生みゆ)が運営している会でも話題になりました。
とはいえ、この会では『枕草子』の評価はさほど高くないようです。あかねは「でも 私 読んでみましたけどさほど 面白いと思いませんでした」と感想を率直に話しています。また、敏子については「先生の「カササギ語り」の方がはるかに面白うございました」と述べているように、まひろの物語の方を気に入っているようです。
定子(高畑充希)派の男性陣は『枕草子』を大絶賛していますが、四条宮の姫たちの関心を惹くのは難しかったようですね。
平安時代、権力者の「影」の部分を書き留めないのが一般的だった
『光る君へ』の29話には、ききょうが執筆した『枕草子』をまひろが読むシーンがありました。ききょうは執筆の目的について、亡くなった中宮・定子(高畑充希)の美しく、聡明でキラキラと輝いていた姿、この世のものとも思えぬほど華やかであった後宮の様子が後の世まで語り継がれるよう書き残しておいたと説明しています。まひろは「生き生きと弾むようなお書きぶりですわ」と『枕草子』を褒めつつも、以下の感想を伝えています。
「ただ 私は 皇后様の影の部分も知りたいと思います。人には 光もあれば 影もあります。人とは そういう生き物なのです。それが 複雑であればあるほど魅力があるのです。そういう皇后様のお人となりをお書きに…。」
まひろは幼少期から不条理な出来事と向き合い、上流貴族や庶民などさまざまな階層の人たちと出会う中で、人間には光の部分のみならず、影の部分もあることを学びます。それは、浮き沈みが激しい宮中に仕えるききょうだって同じはずです。しかし、彼女は「皇后様に影などはございません。あったとしても 書く気はございません。華やかなお姿だけを人々の心に残したいのです」と、まひろのすすめを断固として拒否します。
ききょうは定子にある影の部分を一度は否定しているものの、影があることは誰よりもよく分かっているはずです。ききょうのこうした態度も人間らしいといえるでしょう。人間は憧れの人物の影の部分を知ったとしても、その部分には目をつぶろうとしてしまいがちです。あるいは、そうした部分は自分の心の内にとどめておくべきで、周囲に知らすべきではないと考えることもあります。
当時、実在の権力者について書き綴るとき、ききょうのようにその人物がもつ光の部分にだけ焦点を照らした書き方が一般的でした。例えば、藤原道綱母による『蜻蛉日記』について受領の娘である道綱母が玉の輿婚を誇示している作品だとか、夫とうまくいかず悩み苦しむ日々の気晴らしだとかさまざまな解釈が飛び交っていますが、兼家の歌集という見方もされています。道綱母は兼家に対して思うことがあったものの不遇の時期については本作に書いていません。さらに、本作における兼家のうるわしい姿は彼の権威を高めることを目的とした描写のようにも読み取れます。
『光る君へ』では、ききょうは自身が執筆した『枕草子』を通して定子の美しさやきらびやかさを世に広めたいと話していましたが、権力者について書かれた作品は当該人物の名誉を高める道具として使われることが当時ににおいてよくありました。これらの作品ではその人物の影の部分については綴られない傾向にあり、その人のきらびやかさをいかに伝えるかに重点が置かれています。
現代に属する私たちの中には成功者の影の部分を知ることで、その人への思いがより強まるという人も筆者を含めて多いと思います。例えば、兼家についても政界で厳しい立場に置かれた時期がありましたが、こうした事実を知ることでこそ彼に心を寄せる人もいるでしょう。
なぜ『源氏物語』は人びとの心をつかみ続けるのか。やはり人間の影の部分も知りたい!
紫式部による著作『源氏物語』が時代を問わず多くの人を魅了しているのは、人間の影の部分が描かれているからだと思います。
『源氏物語』の主人公である光源氏(ひかるげんじ)はその美しさが人びとから称えられるほど光り輝いています。しかし、彼には光だけでなく、「影」の部分があることは母との死別にもいえます。光源氏が3歳の頃に母・桐壺更衣(きりつぼのこうい)が亡くなり、彼は愛する母の姿を生涯にわたって求め続けます。
桐壺更衣は徽殿女御(こきでんのにょうご)ら他の后からいじめられる日々を送っていました。桐壺更衣の夫であり、光源氏の父である桐壺帝(きりつぼてい)が桐壺更衣にばかり愛情を注いでいたため、彼女は后たちの嫉妬の対象となったのです。桐壺帝は光源氏が生まれてからは妻同様に息子にも愛情を注ぎました。これにより桐壺更衣へのいじめはエスカレートします。
まひろは人間について光と影が複雑であればあるほど魅力だと語っていましたが、光源氏が魅力的なのは彼の光と影が複雑に絡み合っているからだと思います。もし、彼が苦労知らずのイケメンおぼっちゃんでしかなかったとすれば、人びとの心をこれほどまでに魅了していなかったはずです。
私たちが古典に心惹かれるのは人間の普遍的な影の部分や悩みが詳細に描かれていて、現実世界では共感し合える仲間がいない人も、自分と共感できる人物に本の世界で出会えるためです。影がなく、キラキラしている人から得られるエネルギーもありますが、私たちが厳しい世の中を生き抜くにはそれだけでは十分でないこともあると思います。
本記事では『光る君へ』30話で描かれた、平安時代の文学の“きまりごと”と、『枕草子』『源氏物語』に描こうとしたものの違いについてお伝えしました。
▶続きの【後編】では、平安貴族が苦労していたコト、現代人のあなたの「平安貴族 適正度」はどれくらいあるのかをお届けします。
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『「ちっとも優雅じゃないじゃん!」平安貴族の暮らしに存在していた「10の苦労」とは【あなたの貴族の適性度チェック】』__▶▶▶▶
参考文献
木村朗子『紫式部と男たち』文藝春秋 2023年
竹内正彦、真崎なこ『源氏物語の人物図鑑』 三才ブックス 2023年
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