平安時代、藤原道長も「肝試し」をしていた⁉ しかも、都には「鬼」まで棲んでいたなんて、コワッ!
平安時代、都には「鬼」が棲んでいるというウワサがあった
当時における鬼にまつわる逸話は多く存在します。平安貴族たちは鬼をおそれ、陰陽道の秘法にすがっていたといわれています。
平安京の豪華な正門である羅城門(らじょうもん)(※1)には鬼が棲みついているというウワサがありました。源頼光(※2)は馬とともに羅城門に向かい、真相を確かめることを試みたそうです。彼は門の下で鬼に出くわし、鬼の片腕を切り落としましたが、鬼は頼光から兜(かぶと)を奪い、姿を消したという言い伝えがあります。
また、紀長谷雄(きのはせお)が鬼と双六という賭け事を朱雀門(すざくもん)で行ったという言い伝えがあります。長谷雄は文人としてだけでなく、双六が強いことで名が知られていました。彼は見慣れない男から双六の勝負に誘われ、朱雀門の2階に行きます。ちなみに、朱雀門は鬼がよく現れる場所として有名でした。
長谷尾を誘った男は鬼であると正体を朱雀門で明かしました。長谷尾は恐れたものの、鬼の誘いを受け入れ、長時間にわたるプレーの末に勝利をおさめました。鬼は美女を差し出し、「この美女に100日間さわってはいけない」と言葉を残し、立ち去ります。80日目、長谷尾が美女にふれると、美女は水になって消えたそうです。
当時、鬼にまつわるこうした逸話はいくつも存在し、多くの人たちが鬼を身近に感じていたことが分かります。鬼の存在をおそれる人びとは鬼から逃れるために一定期間にわたって外出を控えたり、反閇(へんばい)と呼ばれる特殊な歩き方をしたりしていました。さらに、目的地が凶方にならない場所に移動する方違え(かたたがえ)を行っていました。
※1 芥川龍之介の『羅生門』(らしょうもん)は日本を代表する古典文学の1つ。本書のタイトルは羅生門だが、実際の門の名前は羅城門(らじょうもん)という。
※2 源頼光は平安中期の武将。都を脅かした酒吞童子(しゅてんどうじ)という強い鬼を倒したエピソードが有名。
平安貴族も肝試しをしていた?道長の勇敢さが分かる逸話も
花山天皇の誘いを受けて、藤原道長は肝試しに参加したという逸話があります。花山天皇は貴族たちを肝試しに誘ったところ、道長が我こそはと手を挙げたそうです。彼の一声により藤原三兄弟が肝試しに参加することになります。花山天皇は道隆には豊楽院、道兼には仁寿殿の塗籠、道長には大極殿に赴くようにと命じます。兄たちはおびえて途中で引き返してきましたが、道長は大極殿の柱の木切れを持って、戻ってきました。
当時の人たちは目にみえないものについて想像をふくらませ、恐怖心を掻き立てられていました。
大きな木の影が鬼のように見えたことがある人や、鳥の声が鬼の声のように聞こえたことがある人はいると思いますが、平安時代の人たちは我々以上にこのように見えたり聞こえたりしていたようです。
当時の人たちは目に見えないものを恐れていたため、道隆や道兼といった権力者であっても肝試しは恐怖を感じるものでした。
参考文献
田村正彦、 さがわゆめこ、 グラフィオ『鬼大図鑑』金の星社 2021年
加来耕三 (企画・校正・監修)、静霞薫 (原作)、中島健志 (作画)『平安人物伝 藤原道長』 ポプラ社 2015年
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