実家が太い、超お嬢様。それでもバリバリ働いていた⁉ 平安時代の女だけの職場、サバイバルできるのか?【NHK大河『光る君へ』#33】
【史実解説】まひろの同僚は「百人一首の女性」や「超お嬢様」ばかり…女房の仕事とは?
史実において、彰子が入内する際、道長は40人もの女房をそろえたといわれています。四位、五位の家の娘の中でも容姿や人柄が優れている娘を選りすぐったそう。しかし、これが裏目に出てしまい、彼女たちはお嬢様すぎて女房としての働きがイマイチという問題がありました。
女房には主人に仕える使用人というイメージがありますが、当時は帝や中宮、その子どもに庶民は近寄ることすらできません。このため、女房は「姫さま」と実家では呼ばれるような貴族の女性たちの中から選ばれました。また、女房の下には女官といわれる女性やその下の地位にある女性たちもいたので、女房が簡素な身なりで汗水たらして働くようなことは基本的にありません。
女房の役割にはさまざまなものがあり、それぞれ役割分担をしていました。秘書のような役割、食事を司る役割、宮中の儀礼をサポートする役割、衣服の製法を司る役割などがありました。
また、幼い中宮の教育係を任される女房には相応の教養が求められます。こうした事情からも、紫式部、清少納言、赤染衛門、和泉式部といった当時の著名な作家たちが重宝されていたのです。平安時代における有名女性作家の多くが宮中で女房として働いていました。
まひろは「藤式部」として奮闘するものの、8日目に実家に一旦退出
本放送では、まひろ(吉高由里子)が慣れない宮中での暮らしに奮闘する姿が描かれていました。宮の宣旨(小林きな子)に「今日より そなたを 藤式部と呼ぶことにいたす」と告げられ、中宮のために共に尽くそうと激励を受けます。
とはいえ、まひろは物語を書くことを主な勤めとするため、他の女房とまひろの間には距離があります。女房という立場にありながらも物語を書くことが仕事であり、執筆のための豪華なつぼねを与えられているのだから、他の女房たちがまひろを仲間としてみなしにくいと感じるのも仕方がないようにも思います。
宮の宣旨に「そもそも女房の仕事は 中宮様のお食事のお世話 身の回りのお世話 お話相手 内裏の公卿方との取り次ぎ役などである」と説明を受け、まひろは「私もお手伝いしとう存じます」と口にしてしまいます。傍で聞いていた女房の中には「お手伝い」という言葉が癇に障った人も。
まひろは豪華なつぼねを用意してもらうなど執筆環境を整えてもらったものの、慣れない宮中での生活や周囲の騒々しさで執筆に集中できません。さらに、周囲のいびきなどで夜も眠れず疲れ果てる日々…。
それというのも、上の場面写真のように当時においては壁はなく、部屋と部屋のしきりは几帳や御簾でした。豪華なつぼねやプライベート空間が確保された寝室であっても周囲の音やざわめきは聞こえてきましたし、他人の存在は身近に感じました。
まひろは寝坊をすると、女房から「誰ぞのおみ足でもおもみにいらしたのではないの?」と言われてしまいます。女房たちは大声で人を罵倒するようなことはしませんが、さらっと嫌味を言いますね。
中宮・彰子(見上愛)に仕える女房は育ちのよい生粋のお嬢様たちですが、噂話が大好きで、(そういった時代であるとはいえ)同僚の親の位を気にし、さりげなく嫌味なところもあり同僚として良好な関係を構築するには大変そうなメンバーだと思うのは筆者だけではないはずです。
まひろは道長(柄本佑)の懇願を聞き入れず一度は実家に帰るものの、彰子を気にかけてなのか藤壺で執筆したいと気持ちを新たにします。
彰子は聡明な定子(高畑充希)と比べられ、周囲の貴族たちから「うつけ」と評されていますが、まひろは彰子の心に何かが潜んでいることに気付いています。また、彰子はまひろに自分が好きな色が青であると、自分の思いを珍しくも口にしています。
まひろは一条天皇(塩野瑛久)の心を動かすだけでなく、内にこもっている彰子の開花にも力添えすることになるのでしょうか。
▶つづきの【後編】では、平安時代における「いじめ」についてご紹介します。いつの世も、人が集まるところでは人間関係のいざこざがあったようです。__▶▶▶▶▶
参考資料
昭文社『図解でスッと頭に入る 紫式部と源氏物語』昭文社 2023年
砂崎良(著)、承香院 (監修)『平安 もの こと ひと事典』 朝日新聞出版 2024年
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