「東大に入るほど頭良かったっけ?」子ども時代の成績はごく普通。でも、東大合格に欠かせない「3つの能力」は持っていた
3つの能力だけではダメで…
なお、我々おじさんがよく言う「◯◯さんの名前が出てこない」は、想起の衰えかもしれません。
ぼくは、「そんなことよく覚えてるね」と言われることが多く、自分だけが覚えていて他の人が覚えていないため「意味のない作り話をした」と思われることもありました。
このような記憶力も東大の上位10%くらいの学生と比べると凡庸極まりないため、そこに何か掛け算をしないと能力として役立ちません。ぼくの場合だと、正確に短く無駄なく話すことです。覚えていても、上手に発話できなければ価値が下がるため、出力の結果が高くなるように工夫しています。
ぼくは凡庸な人間です。
ぼくの持つ凡庸さは、東大生のほとんどが同じ能力を同程度の水準で持つことに由来します。みんなが一定水準を超えているので、特定のテーマで議論になったとき無駄な時間が生まれない。
ただ、稀に論理的に考えることができない東大生もいます。
人の話を聞かない東大生
先日参加した夏季休暇中のプログラムで、ビジネスアイデアを考える時間がありました。
そこである4年生がサークルをビジネスにしたいと提案します。いわゆる、フットサルとか書道とかバドミントンとか映画といった大学のサークルです。
その強引さにチームメンバーは流されていきますが、具体的な収益化の方法が「サークルメンバーの収める会費によって収益を得る」だったので、異論が出ました。
「一般に大学のサークルというのは収益が出ておらず、運営費が足りなければ都度補填している。そのような先行事例が無数にあるのに、どのような根拠で収益が出ると考えているのか教えて欲しい」
至極真っ当な意見です。しかし、4年生はこう言います。
「そこは頑張ればなんとかなると思う」
反駁するまでもない意見です。
その無鉄砲さに本人が気づかないのは、他人の話を聞くつもりがないからです。他人の話を聞くことができなければその人の成長は止まります。そして他人の素晴らしい意見を聞いて自分の行動や意見を修正しないのは不合理な選択です。
自らの不合理さに気づくためにも、人の意見に耳を傾けることが重要である一方、社会では聞くまでもない意見が出力され続けています。
他人の話をしっかりと聞きながら、他人の話を上手に無視する。成長と浪費の狭間で我々はもがき続けています。
【編集部より】
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