「鈴木蘭々」に飽きた。ただの「鈴木智子」でもやさしくしてもらえると気付いたNY留学【インタビュー】
帰国後は「代打女優」としてミュージカルでも活躍
――宮本亜門さんの舞台以降、立て続けに代役として主演を務め、主演級を演じられる「代打女優」と言われるように。ミュージカルはご自身から手を上げたんですか?
いえ、帰国してから、宮本亜門さんの『ユーリンタウン』と言う作品のオーディションの機会をいただいたので、せっかくだしと思って受けてみたら受かったのがミュージカル出演の最初です。ストレートプレイの舞台は22歳で経験はしていましたけど、観るのとやるのとではぜんぜん違って、セリフが歌だという点とさらに日本語というところに最初は慣れなくて戸惑いました。
――蘭々さんが思うミュージカルの魅力ってなんですか?
見てる側としてはやっぱりわくわくしますよね。幕が開いて、音楽がジャジャーンって流れてきたとき、すごくわくわくゾクゾクする世界。
あと出演したときにいつも思っていたことは、セットや衣装、小道具、照明やカツラのすごさです(笑)。プロの技が活きてます! ほんとに総合芸術って感じ。年代物の作品とかはメイクや衣装によって全く別人になれるのも楽しいです。
一時、主役の降板による代役が続いて、短い時間でその穴を埋めなくてはならない事態が重なったこともあるんですけど、帰国してからもレッスンを継続していたので、そのおかげで大変だったけど乗り切ることができました。
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♪筒美京平さんが蘭々さんのために書き残していた楽曲に、新たに蘭々さん自ら歌詞を付けてレコーディングした「戦場のラブレター」
■鈴木蘭々
1975年8月4日生まれ、東京都出身。「泣かないぞェ」「キミとボク」などヒット曲多数。2018年から歌手活動を再開。芸能生活35年を迎えた23年、初のベストアルバムを発売。基礎化粧品ブランド「NARIA COSMETICS」を立ち上げ、化粧品の開発や販売もする会社の社長という一面も。インスタグラム▶こちら、ブログ▶こちら
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写真提供:すべて鈴木蘭々さん
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