【鈴木蘭々さんインタビュー】「アムロちゃん」とのダンスの差に失望、デビュー曲は恩師「夏まゆみ」先生の振付#1
大ブレイク中は「2年半休みなし」、遊ぶ時間もプライベートもなかった
――94年の『ポンキッキーズ』出演あたりから忙しくなり、96年・97年には2年連続CM女王に。「2年半お休みなし」という多忙な時期が続いたそうですね。過酷な状況だったと思います。そのころのプライベートはどんな感じでしたか?
休みがないわけなのでプライベートも当然ほとんどないですよね、ハイ…。
――そのときの楽しみは?
そもそもこの仕事がしたくてこの業界に入っているので、仕事をしてることが楽しくはありましたよね。
あと海外ロケ等は仕事とはいえ、プライベートでは行けないような場所も多くて、元々歴史が好きだったり異文化にも興味があったので、楽しかったし勉強にもなりました。
【20歳のころ】
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―― いろいろなジャンルのお仕事をされていましたが、当時、いちばん好きだったお仕事は?
自分の能力がものすごく発揮されているのはCMだと思います。なんて言うのかな……自分で言うのもなんですが、要望に応えるのがうまいって言うか、例えば商品をカメラ前「そこで止めて欲しい」と言うところにピタっと止めたり、そういうのが得意なんですよね。あと声が通るので、ナレーションの声をほめられたこともあります。
――当時、仲よかった方で、今も繋がってる方っていらっしゃいますか?
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みんなそれぞれ家庭を持ったり出産したりでブランクはあるけど、なんとなく今も繋がってるのはBOSEくんとか一色くん(一色紗英)、あとひなの(吉川ひなの)とかも繋がっています。あとTRFのCHIHARUさんとかETSUさんも20代の頃からお世話になってます。
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よく「芸能人の友だち、誰がいるんですか」って聞かれるんですけど、当時はお互い忙しすぎて遊ぶ暇なんかありませんでしたし、事務所の管理も厳しかった。モバイルはまだPHSが主流で(笑)、LINEもSNSもありませんから連絡を取り合う手段そのものもあまりなかった。だから芸能界での友だちって作るの難しかったと思います。でも今は当時疎遠になった人でも、連絡を取ろうと思えばSNSを通じて取れるんですから、時代は本当に変わりましたよね。
▶▶次のお話▶▶「鈴木蘭々」に飽きた。ただの「鈴木智子」でもやさしくしてもらえると気付いたNY留学
■鈴木蘭々
1975年8月4日生まれ、東京都出身。「泣かないぞェ」「キミとボク」などヒット曲多数。2018年から歌手活動を再開。芸能生活35年を迎えた23年、初のベストアルバムを発売。基礎化粧品ブランド「NARIA COSMETICS」を立ち上げ、化粧品の開発や販売もする会社の社長という一面も。インスタグラム▶こちら、ブログ▶こちら
【鈴木蘭々さんインタビュー記事】
▶ 「アムロちゃん」とのダンスの差に失望、デビュー曲は恩師「夏まゆみ」先生の振付
▶「鈴木蘭々」に飽きた。ただの「鈴木智子」でもやさしくしてもらえると気付いたNY留学
▶「プロデュース」ではなく「起業」を選択。「過去の自分に助けられています」。パラレルキャリアを築く鈴木蘭々さん
▶「老後はみんなでシェアハウス!」。鈴木蘭々さん、40代からヒップホップダンス。50代こそ食事と有酸素運動で血液循環
▶「きょうだい児」として抱いていたのは「世間への怒り」、「お兄ちゃんをバカにするな!」
▶85歳の母。親の介護が必要になったら…まずは「相談先」を知ること。
「泣かないぞェ」「なんで なんで ナンデ?」「キミとボク」も収録された
初のベストアルバム『鈴木蘭々All Time Best~Yesterday & Today~』
※写真提供すべて:鈴木蘭々さん
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