借金まみれで失踪していた夫と、ようやく離婚。「自分の幸せを考えなきゃ」42歳から学びだして、人気教室のオーナーになるまで
東京でお菓子教室をリスタート!そして東日本大震災
離婚後、「東京でお菓子教室を開くんだ!」と東京に出てきたカオリさん。自宅でお菓子教室をしたいため、家賃数万円のアパートではなく、広めのマンションで駅近エリアを希望しますが、定職がないため家を貸してもらえません。
「1年分前払いしますって言っても取りあってもらえなくて、前の会社に勤めていたときは簡単に借りられたのに。人格否定されているような気持ちになった」と、塞ぎ込んだ当時のことを振り返ります。
しかし、事情を知った不動産会社がオーナーに交渉をしてくれて、マンションを借りられるようになります。
2010年12月に引っ越しをし、さぁやるぞ!と思って人が集まった2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。
当然ながらレッスンは全部キャンセル。「レッスン場所が東京になっても通います」と言っていた千葉時代の生徒から「こんな状態でお菓子教室やるなんて非常識です!」と言われショックを受けます。
どうしたらいいか分からなくなり、宮城県の女川町にボランティアに行ったカオリさん。
生きているありがたさを感じ、好きなことで生きていきたい、嫌なことはやりたくない!と思い、「やっぱり私は意地でもお菓子で生きていくんだ」と強く決意しました。
しかし決意は固いものの世間は自粛ムード。貯金を食いつぶして生きていきます。
そんなときに、お世話になった不動産会社から高齢のために店をたたむと連絡が来ました。家のお礼の気持ちを込めてお寿司をご馳走し、「私は絶対お菓子の人でテレビに出るからチェックしてね!」と宣言します。
月に100人レッスン、スーパーに卸す、テレビに出る!そう決めてコツコツ積み上げる日々
2011年からホームページを開始。2015年には「お菓子教室」で検索した多くの人が通ってくれるようになりました。集客できるようになるまでの4年の間はギリギリのときもあったものの、「絶対うまくいく!」と信じて乗り越えていきました。
「やると決めたらやる!を徹底していました。一度、月に100人レッスンをするって決めたんです。1度のレッスンは4名までなので、ほぼ毎日レッスンをしていました。そして達成しました!」と語るカオリさん。
同じ時期に、高級スーパーにお菓子を卸す話が舞い込みます。
お店にお菓子を卸したいという夢もあったものの、お菓子教室もやりながらでは大変です。夜の11時頃から作り始め3時ごろに完成、少し寝てから朝の8時にスーパーにお菓子を卸す…そんな日々が始まりました。
毎日の睡眠時間は3時間。契約のためお菓子を卸すのは3ヶ月で終わりましたが、夢をしっかり叶えました。
また、2021年には朝の情報番組にも取り上げられ、テレビ出演の夢も叶えました。
「大ボラ吹き!」と言われても、めげずにできることをやり続ける
半年待ちのキャンセル待ちが出た人気レシピレッスンもあるカオリさん。結果を出せた理由を聞くと、「できることをコツコツしただけ」と言います。
実はカオリさんはコツコツと何かに取り組むことが大嫌いでした。
「地味だから嫌いだし、コツコツってかっこ悪いと思っていました。継続しないとできないのはかっこ悪い、すぐにできたほうがかっこいいってこだわっていたんです。
でも周りからカオリさんの強みはコツコツやることだと言われたのもあったし、私は自覚なく、当たり前にコツコツしていたことに気づきました。
最初は『テレビに出る!』『人気教室にする!』と言って『大ボラ吹き』と言われたこともありました。
でも、絶対になんとかなる! 心配で一歩踏み出せないよりも、とりあえず前に踏み出そう、家だって借りられないと言われてたのに借りることができたから、どうにかなる!と思って行動するんです」
と明るく語ります。
離婚を決意して夫に失踪されたときも、お菓子で生きていくと決めたから迷いもなかったと言います。過去は振り返らず、今を見つめて生きることを心がけています。
現在は月1回のオンラインレッスンも開催しており、リアルレッスンに通えない方やお子さんが小さい方にも大好評。明るい人柄と見るだけで元気が出るレッスンで生徒さんから大人気です。
取材・文/今井佐和子
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