どうして東大にいる大人は話が長いのか。「知性」と「空気を読む力」に関係はある?ない!?

話が長すぎて具合が悪くなりそう…

もう終わりにしてください、先生。ぼくはいま体調が悪くなりそうです。

そう心の中で祈った。

 

そういう粘り強い説明をする人は、良い人なんだと思う。

「学生のため」と考えて、何度も説明してくれている。でも、資料を読めばわかるし、一度言えばわかる。そして、我々はとても疲れている。優しさと状況判断のバランスを考慮して欲しかった。

でも、「話が長い」という所感を持ったのは僕だけかもしれない。みんなは平気だったかもしれない。夜の自由時間で、仲間たちに聞いてみた。

 

ぼく「最後の先生のコメントと注意事項の説明、どうだった?」

A「長かった」

B「長かった」

C「長かった」

D「長かった」

 

みんな長いと思っていた。

 

ぼく「でも、Aはさ、ずっと先生の方をまっすぐ見て話を聞いていたよね。」

A「見てたの?笑 そうだね」

ぼく「みんなで連帯して、疲れた表情をしないと先生たちは話をやめてくれないんじゃない?協力が必要じゃない?」

A「そうかも笑」

 

そう。一部の学生が明らかに疲れている態度を見せる中、真剣な眼差しを先生に向け続ける学生も多くいた。学生の態度として素晴らしいし、ぼくだって普段はそうする。

でも、今日は疲れた。状況が変わればやるべき行動も変わる。というか、みんな普段の講義をそんなに真剣に聞いてるか?笑

ここは連帯して、話が早く終わるようにハマーンが感じたシャア並のプレッシャーをかけるべきじゃないか。

 

どうして話が長いのか考えてみた。

説明が長いのは、優しいうえに、何が重要で何を話すべきか考えていないから。

コメントが長いのは、学生たちに良い話を聞かせてあげたいという優しさと、他の先生より良いこと言いたいという対抗心、良い話をしたと思われたいという評価への飢えがあるから。

 

 

だから話が長くなる。理由が分かっても、聞き手は話を短くすることはできない。だからといって、考えることに意味がないわけではない。

思考すること、可能性の高い結論を導いて真理に近づくことに意義がある。

それが大学生としての正しいあり方だ。

 

【編集部より】

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