「えっ。平安貴族に生まれても、飲み会は必須!?」平安時代の姫は飲み会で、憂さ晴らしをしていた!?
「飲み屋」は平安時代より前から存在していた?お酒が苦手だと平安貴族は大変そう
忘年会シーズンが今年も近づいてきました。飲み会の席でおいしい食事とお酒を仲間たちと囲むことを楽しみにしている人、飲み会がすでに憂鬱な人などさまざまだと思います。ネクストレベル(横浜市)が運営する「ミライのお仕事」の調査では「「飲みニケーション」は必要だと思いますか?」という質問に「いらない」が27.0%、「どちらかというといらない」が37.5%という結果でした。現代では半数以上が飲み会の必要性を感じていないようですが、お酒の席は少なくとも1000年以上前から存在しています。
お酒を提供するお店の営業が日本ではじまったのは奈良時代というのが通説です。平安時代の初期に編纂された『続 日本書紀』には奈良時代の酒場である酒肆(しゅし)に関する記述があります。天武天皇の曾孫・葦原王は酒肆で一緒に飲んでいた仲間を刺殺したと綴られています。
平安時代、貴族たちはお酒の席に日常的に参加していました。季節のイベントや祝い事、儀式などが催されるときだけでなく、親しい者同士でお酒と食を楽しんでいました。
現代においても会社の飲み会では役職ごとに座る席が決まっていたり、上司を立てた振る舞いが求められたりしますが、当時も同様でした。天皇による神事の後、神に捧げられたお酒や神饌がふるまわれる直会(ならかい)では参列者が座る場所は身分によって決まっていました。席を立つことも認められておらず、かつ飲む順番も上座からと決まっていました。直会の後、今でいう二次会のような宴が催されました。宴は直会よりも自由度が高く、にぎやかなものであったといわれています。
当時は内裏においてさまざまな儀式が執り行われていましたが、酒宴も多く催されていました。また、神泉苑で催された管弦の宴、桜や梅の花を見ながらお酒をたしなむ宴など雅なものもありました。
平安貴族は19時頃に寝ていたといわれていますが、それは何もない日の話です。夜に宴会が開かれる日は遅くまで起きていたそうですよ。
貴族たちの宴は豪華で、参加者はキジ肉やアワビ、菓子など数々の料理をお酒とともに楽しみました。
スポンサーリンク