「大宰府」は雅な都の暮らしを支える場所だった。平安時代、中国経由で日本に入ってきた贅沢品とは?
大宰府は「貿易の場」としても「社交の場」としても栄えていた
まひろ(吉高由里子)は夫の宣孝(佐々木蔵之介)が働いていた大宰府を乙丸(矢部太郎)とともに訪れました。この地を訪れた当初、まひろはにぎやかで、見慣れないものがあふれるこの地を目を輝かせて歩いていましたね。まひろの好奇心を掻き立てた大宰府は、当時においてどのような場所だったのでしょうか。
九州地方に所在する大宰府は都に次いで栄えていたといっても過言ではなく、西海道の中央政府のような役割もありました。
この地の中心には鴻臚館(こうろかん)が置かれ、当時において重要な拠点として機能していました。鴻臚館は朝鮮半島や中国からの使節の接待を目的につくられましたが、遣唐使などの対外使節が廃止されると外国との貿易の拠点になります。船で博多湾に届けられた荷物は鴻臚館において検査を受け、保管されていました。
また、大宰府内には工房があり、墨、紙、筆、瓦、土器の製造、綾などの高級絹織物の生産や染色が行われていました。これらのものは都に運ばれ、貴族たちが使っていました。
さらに、この地は国境を守ることを重要な任務としていました。朝鮮半島の新羅との最前線にあるため襲撃が懸念されていたためです。平安時代初期から中期、九州沿岸は外国の海賊から襲撃を多々受けています。
襲撃事件の1つが、「光る君へ」にも描かれている刀伊の入寇(といのにゅうこう)です。刀伊の入寇は平安時代における最大の対外危機ともいわれていますが、大宰権帥の任にあった隆家の活躍によって事態は収束しました。
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