アル中になった私。お酒を飲むことで「向き合わなくちゃいけないこと」から逃げていたんだと気付いて…。断酒会の仲間や友達の存在に助けられ、人生を「リ・スタート」(後編)
日々が飛ぶように過ぎていく中、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんな中「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。体験談をご紹介します。
前編記事『「キラキラだったわたしがまさか、アルコール依存症? そんなの信じられない」。少しずつ壊れていって、ついに入院』に続く後編です。【私を変える小さなトライ#14】
一般社会での経歴はゼロ。落ちまくった就職活動に一筋の光が差す
祇園のクラブのオーナーママを辞めたあとは貯金もあったので、当面は仕事をしなくても生活できましたが、40歳手前になって、そろそろ仕事をしなくてはと就職活動を始めました。一般社会での職歴はなく、履歴書の前職には「飲食店経営」と記入。35、36通は履歴書を書いたでしょうか。お酒こそ止めていたけれど、精神の薬に頼っていたせいで、かなりボケた頭だったんでしょう。落ちて、落ちて、落ちまくり、どこも雇ってくれません。「なぜ働きたいのに、雇ってくれへんの」と半ば自暴自棄になっていました。
やっと雇ってくれたのが、パン工場。夜中にパンを作る仕事です。「夜型人間やし、大丈夫だろう」と思いましたが、めちゃくちゃきつくて、「お金を稼ぐのって大変なんや」と現実を目の当たりにしました。時給5000円以下では働いたことがなかった私が、京都府の最低賃金で、三角巾を被って、パンをこねている。しかも、私は身長170cmと背が高いので、支給される制服はつんつるてん。みじめすぎて、悲しくなったけれど、涙すら出てこない。そのころ、精神的にもおかしくなっていて、友達に聞くと、顔が能面みたいに固まっていて、まばたき一つしていなかったそうなんです。「断酒会」の仲間からも、「あのときのサンちゃん、ひどかったなぁ〜」って言われます。
パン屋の仕事は2年で辞めましたが、それがキャリアとなって、派遣会社からすぐに仕事を紹介してもらえました。印刷製造の会社でした。仕事で怒る側だったことはあっても、怒られたことはない。初めて、自分がどんくさい人間だったと知りました。若い男性社員に質問すると、「何回、同じことを聞くんですか!」と明らかに若い女性の派遣さんに対しての態度と違う(笑)。そんな不条理にも耐え、とにかくがんばるしかないと、歯をくいしばりました。もともと、私、負けず嫌いなんです。
若いころは「人に負けたくなかった」けれど、今は… 次ページ
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