楽しい思い出を共有できるのが「家族」。 里子たちのおかげで喜びが拡大しています【里親が考える「家族」の意味】
里親なら堂々とお世話ができる
初めて里子を迎え入れたのは、2006年のこと。当時、実子は長女9歳、長男8歳、次男6歳、三男4歳。そこから18人の里子を預かってきました。今、わが家で育てているのは、障害児二人を含む小学校5年生の男女、2年生の男子、年中の男子の4人です。
私が里親になったきっかけは当時、小学校1年生だった長女の同級生に、ネグレクト状態の男の子がいたことです。フィリピン人のハーフのその子は、冬でも裸足。週末には、近くのスーパーの試食をむさぼるように食べていました。それを見た、近所の心あるお母さんたちは、その子を家に呼んで、ごはんを食べさせたり、お風呂に入れたり。私も長男のお古を着させたりしましたね。
そういうことをしていると、あるときその子のお父さんの職場の方から「余計なことをするな」というような電話がかかってきたんです。でも、いくら脅されても、子どものことは放っておけないので、役所に相談に行ったら、県庁に行ってくれと。そこから県庁の担当窓口に行ったときに、「新しい家族の形」というポスターが目に入りました。そこで初めて里親制度のことを知ったんです。
今のままだと、ただ近所の人が世話を焼いているだけですが、行政も認めた里親であれば堂々と面倒を見ることができる。研修を受けて、とりあえず登録しました。結果的に、その子はフィリピン人のお母さんに引き取られて、それ以上関わることはありませんでしたが、登録後しばらくして初めて、別のフィリピン人の子を里子として迎え入れることになりました。
里子はいつか離れてしまう
そもそも里親は、一般家庭で18歳養育する「養育里親」と、養子縁組で養親となる「養子縁組里親」の大きく2種類。私が選んだ養育里親は、預かれる子どもは18歳未満の実子を含む6人まででしたので、最初の約10年は1人か2人の里子を預かって育てていました。そして2016年からは里親型のグループホームであるファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)に移行し、常時5~6人の子どもを預かるようになりました。ファミリーホームにしてからは、近所のママ友にも助けてもらいながら、みんなで育てるという形でやっていきました。
預かる子は基本的に実子より年下。比較的小さい子をメインに預かってきました。ただ預かる期間は、子どもによってさまざま。一週間しかいない子もいれば、12年いた子もいます。最終的に実親が引き取るパターンが多いですね。
子育てには当然、喜びもあれば、苦労もあります。小さいうちは泣きわめくし、抱っこされるのを拒否する。話し始めると、誰がこんな言葉を教えたの、と思うような乱暴な言葉を使う。学校に上がると、友だちにケガをさせる……。特に今は障害児二人がいますから、想像もつかないような、事件を起こしてくれますよ(笑)。
そういった子育ては実子も里子もそう変わりありませんが、やはりいつか実親の元に戻る里親の場合、いくら親子のように暮らしていても、自分の子どものように、ずっと成長を見ることができるわけではありません。いったん実親さんに引き取られたら、なかなか会えなくなり、寂しさを感じることも少なくありません。だからこそ、里子たちがここにいる間は、家族として一緒にいろいろな楽しい経験をしたいなと思っています。
今、社会的養護が必要な子どもの多くは、児童養護施設にいますが、やはり施設だと家庭に比べると圧倒的にできる体験が少ないんです。たとえば家にお客さんが来たり、旅行や外食をしたり、旅行中も予定を急に変えて、地元の人に呼ばれてご飯を一緒に食べたり、家庭なら当たり前にできる経験が施設だと、なかなかできないんですね。だからこそ私は、こういう家庭という場で、ともに経験することを大切にしたいと思っているのです。
実親さんとも里親だからこそできるおつき合いがあります。たとえば、ふだんの様子を話したり、写真を送ったり、コミュニケーションがとりやすい。特にコロナ禍では、施設は親子面会もできず、実親さんは不安だったり、不満だったりということがあったようですが、里親の場合はそういったこともありませんでした。
ポジティブな応援が励みに
里親をしていて何よりもうれしいのは、周りの方たちの温かい反応です。知っている人はもちろん、知らない人からも、ポジティブに応援してもらえるんです。
以前、ある朝のテレビ番組で、私の里親の活動を取り上げてくださったことがあります。放送されたのは一瞬でしたが、その後、ゴミ処理場に粗大ゴミを出しにいったら、そこの担当の方がその番組を見ていらして「頑張ってね」って。そんなふうに日々やっていることで、周りの人にポジティブに言ってもらえることって、すごく励みになるんです。まぁ、実の子を育てている世の中のお父さんお母さんも同じように頑張ってるので、里親である私だけが応援していただけるのも、なんだか申し訳ないんですけどね。
また、日常的に親切を受けることも多いんです。たとえば、米農家の方が「しっかり食べさせてあげて」と米を余分にくださったり、蕎麦屋さんが「大盛り料金はいらないよ」とおまけしてくださったり。実子たちだけのときは、厚かましくてお願いもできませんが、私も里子のためだから「よろしくお願いします」なんて、ちゃっかりいただいています(笑)。
千葉県出身のプロボクサーの那須川天心さんも、社会貢献をしたいと、うちに遊びに来てくださったり、ジムに招いてくださったりしています。里子たちがいるからこそ、私たちも一緒に楽しい思いをさせてもらっているんです。もちろん県が里親手当を払ってくれて、しっかりスーパーバイズしてくれているから、成り立つわけですが、それ以上のものを私たちは受け取っていると感じています。
今の世の中、自己責任論が声高に叫ばれていて「自分の子どもは親が責任持って育てるべき」という風潮がすごく強い。もちろん、子どもは自分の親が責任持って育てるべきだと思いますし、私もそうありたいと思って、自分の子どもたちが成人するまでは頑張ってきたつもりでしたが、やはり誰にでも事情はあります。
私も若い頃は、実親さんに対して「子どもにこんなことをするなんて」と、やさしい見方ができませんでしたが、年を重ねると、いろいろなことが見えてきました。
子どもを自分で育てられず、施設や里親に預ける実親さんも、不遇な子ども時代を過ごしていることが多い。だから、ここに面会に来て、延々と自分の話をするんです。私としては、もっと子どもの様子を見てよとか、子どもと親睦を深めてほしい、と思っていますが、実親さんは私に話を聞いてほしいわけです。実親さんたち自身が、親からそういう時間をもらっていないので、今それがほしくて、ほしくて、子どもどころじゃないんです。そう考えると、この社会は、いろいろな役割の人がいて、私には、たまたま自分の子以外の子を育てる時間もあるし、嫌いではない、というだけのことなのです。
▶つづきの【後編】では、里親として里子を育てる吉成さんが考える「家族」とは、これからの夢についてお伺いします。__▶▶▶▶▶
【profile】
吉成麻子さん
ファミリーホーム運営、NPO法人 乳幼児家庭養育の会理事。大学卒業後、1989年日本中央競馬会入会、1993年退職、結婚、一女三男の母に。2004年千葉県養育里親登録、現在、5歳から小5までの4人の里子と暮らす。
取材・文/池田純子
画像提供/吉成麻子さん
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