「実は3・4歳が分水嶺?」みんな手探りの性教育を「小さいうちに始めるほどいい」と言える決定的理由
熊本市在住、現在52歳の西川佳江さんは、中2・高2の2人娘のママ。アパレルECのCEOのほか、埼玉県のFM局「Nack5」火曜深夜の番組「Goo Goo Radio」のパーソナリティを20年に渡り務めています。
よく食べよく笑いよく働く、そんな佳江さんの肩書がある日突然「がん患者」になったのは、いまから5年前、46歳のときでした。
前編『「恥ずかしくない性教育を行うきっかけに」52歳ラジオパーソナリティが開発したソープとは』に続く後編です。
性教育ってどうすればいいのか、みんな手探り。「小さいうちに始めるほどいい」のは事実かも
正直なところ、私たち親の世代は子どもに対して「性教育」をどう行えばいいのか、正解を知りません。「できていない」というご家庭が大多数ではないでしょうか。
「小学校の性教育の授業のあと、ナプキンをもらってきたりしたときがチャンスだったのでしょうね。でも、何を話すべきなのかがわからない。上の娘が6年生のときに思い切って『女子は自分で身を守らないとならないとだめよ』『何かあったらママに言ってね』『女の子は危ないことってしないほうがいいのよ』と話しましたが、横から当時小3だった下の娘が『高いとこからジャンプしたりすること?』って口をはさんできて(笑)、そこで気が抜けちゃって、そのままうやむやになったり。タイミング次第な部分があります」
でも、経験してみて、思い立ったそのときが子どもと向き合う最適なタイミングで、手遅れということは実はないのだと気づきました、と佳江さん。
「その瞬間はうまく伝えらなかった、ああ言えばよかった、などの気持ちが生まれると思いますが、1回で全部済ます必要もないんですよね。肝心なのは関係性の構築です。どれだけ反抗しようと、子どもがいちばん頼りたいのはお母さん。予期せぬことが起きたときに、ちゃんと話してくれる距離感を保ち、難しい会話もできる間柄になっておくのはとても大事なのだと感じます」
たとえば佳江さんは、30代の初めに子宮頸がん異形成と診断されたとき、相談する相手がいなかったと振り返ります。
「私の母は多忙すぎて相談する余裕がなかったし、友人にも当時はちょっと言いづらかった。もし私の娘が何かしらトラブルに見舞われたなら、どうかいちばんに私に相談してほしいしとその経験で思いますし、私もどんなことでも受け止めて一緒に考えられるお母さんでいたいのです」
のちに性教育の専門家に聞いてみたところ、そうした関係性を作るためには、小さいときから距離感を縮めるための会話が大事だと言われたそう。
「じつは3、4歳がひとつの分水嶺なのだそうです。エッチ、いやらしいと思う前の段階に、虫の交尾を見て『人間も同様にする』と普通に飲み込める時期がある。たとえば生理のときに一緒にお風呂に入って、こうして血が出るのは子どもを産める体になるからよ、子どもを産むために大事なんだよ、汚いことじゃないよと伝える。そうしたコミュニケーションにNANO SHAKE SOAPは役立ちます。もう子どもが大きくなっていても、我が家のように、いつまでもあなたのことを考えているというメッセージを送ることもできるのです」
乳がん+子宮頸がんの闘病でわかった「自分が何をすべきなのか」
佳江さんがこうしたことをひとつひとつ深く考えるようになった背景には、やはり闘病時の体験があったそうです。
「病気の前と後では考え方が大きく変わりました。食べ物、そして何より心が大事。俗説ではあるけれど、がんになりそうな人の考え方というものがあるそうです。それは責任感が強く、何事も自分のせいだと受け止め、ストレスを自分にかける考え方。まさに私です。父は早くに世を去りました。母はずっと事業を営んでいましたから、母を支えるため、30歳ごろから病気になる46歳までずっと、声をかけられればすべてに力を貸してあげたい、誘われればどの席にも顔を出したい!と気負っていました」
2人の子どもの出産も前日まで働き、体の回復も待たず2か月弱で復帰したといいます。
「一族は事業を営んでいますが、『お金を頂戴する以上は死に物狂いで働け』とまじめな考え方をする人たちです。努力も気配りもセルフケアもできていて当然、それが普通だからこのくらい平気だと思って生きてたら、こうしてがんという症状になってストレスが出てきて。意外と人間、というか私は弱かったんだなと再認識しました」
たとえば、6週間受けた抗がん剤治療でも無力を思い知ったのだそう。月曜に検査、火曜に抗がん剤、水木と生理食塩水で流し、また月曜に検査というルーティンでしたが、3週目からはもう数値が戻り切らず、ずっと気持ち悪いまま。そのあとの放射線治療も10分程度照射するだけとはいえ、何回も続けるうち皮膚が黒くなり、下着が触れるだけで痛いという状況になりました。
「賛否ありますが、標準治療以外にもいろいろな療法がある中で、私はあとで『あれをしておけば治ったかな』と思いたくなかったので、ニンジンジュースを飲む療法など経済的に負担の低いものをいくつか試しました。何が効いて、何が効かなかったかはわかりません。でも生き延びてるからこれでヨシと納得しています。そうした、結果を問わない割り切りも病気を経験して生まれました」
そんな中、佳江さんが何よりもきちんと「やった」ことは、「ちゃんと寝ること」だったのだそうです。
「あとは基本どおり、よく笑う、くよくよしない。もう一つ大事だったのは考え方を全部ポジティブに変えることでした。子どもに何かあると全部私のせいだと思っていましたが、どうせ子どもは寝ないし食べないけれどあれでいいと開き直るように気を付けて。食べ物は甘いものを控え、チキン、魚、ポークを中心にして、あとは運動。そして、自分が楽しいことをいっぱいして、いやなことはちょっとにしよう、いやなことが起きても考え方をちょっと変えようと」
自分の心に殻を作っておいて、喜びも悲しみもこの殻の外で行い、心のコアの部分に入ってこないようにと心がけたのです、と語ります。
「私は免疫を兵隊って呼ぶんですが、なんで!悔しい!というような強い感情が兵隊の元気をなくすのだと思います。兵隊を元気にしてあげよう、そのために何ができるかなと考えるようになったら、自然と『あの人にあれ言いにくいな』『部下にこれ言いにくいな』と思っていたことが『兵隊のためだから』と口にできるようになったんです」
自分が生かされた意味を考え、無理をしなくなった結果、病気になる前より今のほうが毎日が楽しい、と佳江さんは笑います。
「心と体はつながっているし、心が落ち込んでたら免疫の兵隊たちも戦えません。自分の中には、落ち込んでいるときにフラットに聞く人、一緒に共感してくれる人、怒ってくれる人、励ましてくれる人、いろんな自分が共存していると思います。状況によってどの自分に自分が相談するのかを選んでもいいのかもしれませんよね」
撮影/園田ゆきみ(PEACE MONKEY)
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