「惚れたら、女はからだごと惚れるのよ」天才詩人を捨てて他の男に走るも、まさかの展開が待っていて…
文学史における「運命の女」は扱われ方が二極化?
文豪や文化人を取り巻く「女」というのは、とかく「男を振り回すファムファタール(運命の女)」扱いされがちというのが書物や歴史好きの私の印象。
例えば谷崎潤一郎と佐藤春夫の間で起きた「細君譲渡事件」なるもの。
昭和5年(1930年)大文豪・谷崎潤一郎が、彼の最初の妻・千代との離婚を関係者に報告しましたが、谷崎は妻を、自分の後輩にあたる詩人・小説家の佐藤春夫に「譲る」とし、「谷崎と佐藤はこれまで通りの交際を続けるから、皆様にもご了解願いたい」などと宣言したという事件がありました。
その声明文は、当時新聞を飾るほどの大騒動になったのですが…。背景を知れば知るほど、谷崎潤一郎がとんでもないことをしていた、としか言いようがないのですが、当時の世論は千代への風当たりが強かったそう。
そして文化人2人を「手玉に取った」女というのは一体どんな顔をしているのかと、世の中の野次馬心が刺激されてしまった事件になったようです。
このように、文化人の間を揺れ動く女性は“ファムファタール”として扱われるか、イマジネーションの源泉としての女神や聖母のように扱われるか、という極端な二極化を見せる傾向があります。
二人の男性の間で揺れ動くうちに…

『ゆきてかへらぬ』©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会 【配給】 キノフィルムズ TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
長谷川泰子の場合は、中原に「我が生活」や「臨終」などといった代表作を生ませたといわれています。文学史、文化史的に見れば、2人の男性に様々な点で強い影響を与えた泰子は女神のような存在として扱われる面もあるかもしれませんが、ただのシンプルな恋がなぜか「女神扱い」。それってどうなのか。
私が気になるのは、泰子自身がこの関係性をどう思っていたかというところです。これは恋愛関係や婚姻関係においてありがちなのですが、男性がパートナーを2番目の母親のように扱い始めてしまうという現象は、時折見られる印象がありませんか。
生活面でも精神的な面でも、どんな自分でも受け入れてくれる母親のような存在をパートナーに期待してしまい、それに応え続けていた女性側が疲れてしまうというのは、ないことではありません。
中也は泰子に対して古女房のように接して甘え、友達の前で罵倒してみたり、ときには手を挙げてみたりと乱暴に振る舞います。
泰子は結婚しているわけでもないのに、このような扱いをされることに納得をしていたのかどうか。そんな中で、ダンディーで知的で、自分を丁寧に扱ってくれる小林秀雄に好意を寄せられれば、異性として純粋に惹かれることも無理はなかったのかもしれません。
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