アラフォー元TBSアナが明かす「焦って距離感を間違えて人間関係をぶち壊してしまった」経験。つい一人反省会をしてしまうほど「根暗な私に辛いほどに響いた」夏目漱石の最高傑作とは?
焦って距離感を間違えた私
例えば、こんなことがありました。ある人と、せっかく良好な人間関係が築けそうだと思った際、未熟な私はとにかくせっかちで、結果を急ぎすぎ、また勝手な思い込みで、良い方向に進むはずだった人間関係をいきなりぶち壊しにしてしまった経験があります。
人間関係の構築において、居心地のよいスピード感というのは人によって異なるわけです。私は、気が合うと思ったらすぐに距離を詰めたくなるときがあります。気が合うと思ったひとには、すぐに胸の内の本音を話したくなりますし。
でもみんながみんなそうじゃない。そんな私の流儀に閉口するひとだって必ずいるわけです。ああ、恥ずかしい。
今更ながら、ああなんであんな行動をとったんだろうと頭を抱えてもあとの祭り。その人に今更連絡をして、あんな失礼をして本当に申し訳ない。ひとえに私がおかしかったのだと言ったとしても、それはむしろ、ただ自分の壮大なる言い訳を聞かせたいと言う自分自身のエゴ以外のなにものでもないわけで。
謝りたいという気持ちそのものがご都合主義なのかも。あわよくば「そんなことないですよ。大丈夫ですよ」と笑顔で許しの言葉をいただきたいというわがまま。
人生はいくらでもやり直しが効く、というのは人生の真理だし、その通りだと思います。でも、人と人、人間関係においては、一度やらかしてしまうと二度と回収、および改修ができない残酷さがあります。
やっぱり人と接する時は、明るさや感じの良さのみならず、「慎重さや親しき仲にも礼儀あり」を常に強く意識せねばならんということを、この年齢にして再認識している次第なのです。
とにかく、恥の多い人生、なのです。
夏目漱石に共感するのみならず、最近の私にずんと来たのは、太宰治の「恥の多い生涯を送ってきました」と言う名言。そうそのとおり。なんと恥の多い人生か。自分の人生は恥ばかりで、ふとした瞬間に頭を抱えて唸りたくなる衝動に駆られている今日この頃。
ここまでの文章を読んで、これは自分が書いた文章ではないかと感じたそこのあなた、つまり、一人反省会のことも、頭を抱えて一人唸るという現象にも心当たりがあるというあなた。「こころ」、響いちゃうと思うんだよな~。
もちろん、「共感」がすべてではないわけですが、自分自身から悩みを止めどなく産出し続ける漱石スタイルにどこか自分を重ねてしまうという人も結構いるはず。ぜひ観てみてください。
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